「去華就実」と郷土の先覚者たち

第28回 志田林三郎 (下)


志田林三郎
(写真提供:多久市郷土資料館)

志田林三郎は明治25年(1892年)36歳の若さで亡くなったが、その3年半前の明治21年(1888年)念願であった電気学会を設立し、第一回通常会において自ら記念演説を行っている。若き指導者が、学問、技術、国の電気事業の整備、学会の運営、電気の未来、科学者技術者が解決すべき課題等を伸び伸びと語っている様は、読む者に爽快感を与える。しかし100年以上も前の文章なので、現代の若い世代が読みとおすには困難があるようだ。そこで、演説の全文を現代日本語訳の形でご紹介することにした。そのさい、構成が分かり易いように見出しを付した。


電気学会設立にあたっての志田林三郎の記念演説

 

明治21年(1888年)6月25日
電気学会第一回通常会において
幹事 工学博士 志田林三郎
現代語訳:平成16年(2004年)3月
宮島清一

今夕の集会は本会設立後最初の通常会なので、会長の演説のみにて閉会すべきところ、私も何か簡単な演説をするようにと会長より命ぜられたので、また時間も十分にあるので、学会設立という最も喜ばしい機会にあたって、少しお話したい。さて本会設立の必要性と目的の大略は会長が既に述べられたので、私はその目的を達成するための針路、つまり本会を将来において発展させる方法について、若干の意見を述べたい。


(1)電気学会の組織

どんな会でも、最初の設立に際して特に注意すべきはその組織形態である。本会創立委員の諸君はその点を深く理解し、本会規則の制定にあたって周到に力を尽した。それはどういう点かといえば、本会の将来における振興を図るには、まず世間有力者の賛助を請わねばならない。社会に名望ある人々を推薦して名誉員とし、また通信事業の管理者及び電気工業あるいはそれに密接に関係する工業の経営者、また、物件や金銭を寄付するなどして本会の趣旨に賛同する人々を賛成員とする規程を設けた。また本会の基幹実務にあたる者は電気学あるいはそれと密接に関係ある学術や工業に関して広い見識と経験をもつ者でなければならない。そのため、通常員の資格を高く設定し、また役員は概ね通常員の中から選ぶことに定めた。いっぽう会員は種々の専門家より成り立ち、かつその数は多くなければならない。そこで電気に関する各種技術を専門とする者で、通常員の資格を持つには至らないものの、それを目指す志ある者を准員として広く入会を許可することにした。

本会設立以来今日までの経験によれば、本会組織に関する創立委員の尽力が実り、会員数は既に840名に達し、名誉員、賛成員らからの寄付金は200円に達した。これらは望外の好結果である。しかしながら、本会将来の振否盛衰は会員諸君が会務を処する方針如何によるから、私自身が今後どのあたりに意を注ぐかを、以下に論究したい。
 


(2)電気学会の事業

そもそも学術工芸の進歩の速さというものは、理論と実験の調和如何による(工学会誌66-67巻に講演者が著した論文「工業の進歩は理論と実験との親和に因る」を参照)。従って本会は電気学術家と電気工芸家の媒介者となり、両者相互の知識交換を円滑で容易にするよう努めることが最も肝要である。つまり、学術家会員が自ら新しい学理を発明発見し、あるいは他人の発明発見を知った場合、事の大小を問わず直ちに演説あるいは通信してこれを本会に報道し、本会は直ちにこれを本会雑誌に掲載し、実地家たちがその学理を実地に利用する便を図らねばならない。いっぽう実地家は常にその実験事項について珍しいものは細大漏らさず速やかに演説もしくは通信し、本会はこれを本会雑誌に記載する。こうして会員たちがこれを実地の事業に応用し、あるいは学理研究することを促すこと、これこそが本会の要務である。  

会員の中で電気の学理に明るい人や電気工学技芸の実験に精しい人々を選び、相応の報謝を与えて学術工芸の講義を委託し、その内容を詳しく本会雑誌に掲載し、一般会員の便に供することも望ましい。

内外の新聞雑誌に掲載された電気学術工業や技芸の記事で会員の参考になるものは、事の軽重によらず会員が抄録抜粋して、本会雑誌の抜粋の部に掲載することもまた、多少なりとも本会の利益を増進するものである。

本会雑誌には問答の部を設け、理論家はその学理が実地経験に合うかどうかを実験家に問い、実地者はその実験が学術理論に合うかどうかを学術家に質問するなど、会員たちが事の大小を問わず自在に疑問を提出して自由に応答する場を設けることもまた、知識交換の一助となるであろう。なかでも地方会員にとってはたいそう便利なことであろう。

学術研究を奨励することもまた非常に肝要である。電気学に関する発明発見は特に貴重である。本会規則において、電気に関する重要な発明発見者には金員または褒状を贈り、名誉を称え、あるいはその研究に対して補助金を支払うよう定めたのは、このためである。それだけでなく、その発明発見者の名誉を広く世界に知らしめるよう、本会が政府あるいは外国の学会に対して働きかけねばならない。また、当人が専売特許を得ようとする場合は、それが達成されるよう本会は支援せねばならない。

電気学術または工芸の重要問題については、本会において会員の中から特定の人々を選んで委員とし、必要な費用を本会が負担して研究に従事してもらう。そして委員による研究結果報告を本会雑誌や海外雑誌に寄稿して、その仕事ぶりを公開する。これは学術研究を奨励する一方法であり、本会にとって大いに利益となることである。

その他、細事について種々所見があるが、一々挙げることはやめよう。しかし、本会研究の範囲に属する事柄の大綱を指し示すことは非常に重要なので、私はここに電気学の沿革を述べ、その将来を推察し、本会が特に注意して探求すべき科目事項について所見を述べたいと思う。


(3)電気学の沿革

電気学を古く遡れば、およそ2460年前、シャーレスによる摩擦電気の発見がある。それ以来、物体に導体と不導体の区別があることの発見や蓄電瓶の発明等もあったが、静電気は実用に適さなかったので、近来に至るまで著しい進歩が見られなかった。1800年、イタリアのガルバニとボルタが電気の流れることを発見したことは、電気学上、無比の発見と言うべきである。これに続く重要な進歩は、その原因がいろいろなので、今ここに一々説明することは控えるが、電気学の進歩における各段階を画した最も偉大な業績については、ここに略記しておきたい。

デンマーク人エールステッドが電気と磁気との関係を見出し、これは電信技術の基礎となった。フランス人アンペールは電流と電流との相互作用を見出した。これは近年最も有用な機器である起電力計や電流計に応用されている。ドイツ人オームは起電力と抵抗との関係を定める原則を見出した。これは電信学士や電気学家にとって一日も欠かすことのできない基本となった。ファラデーの見出した誘導電気現象は、こんにちの動力発電機及び電話機の淵源となった。英国のトムソンによる電気の波動に関する数理的研究は、海陸の別なく、数千里を隔てた地との電気通信を自在に行う道を拓いた。


(4)電気学の沿革

電信技術について述べる。ソンメリングが1809年に初めて電信技術を発明した時には、35本の電線を用いても、その信号は甚だ不十分なものであった。しかし1837年、英国においてクークとホウィットンが磁針電信機を発明し、米国ではモールスが現字電信機(文字信号を送る電信機)を発明したことによって、電信技術が初めて実用化され、かつ電線はわずか2本で足りることになった。同じ頃ドイツでスタンヘイルが地球を電線の1本に代用できることを発見した。これによって1本の電線で十分に通信ができることとなった。

その後の電信技術は、1本の電線で同時に送受信する音信の数を増す方向においても、また送信速度を増す方向においても、着々と進歩している。同じ電線を使って一時に多数の音信を送受する方向での沿革をみると、ジントル、フリッヒン、スターン等の学才と労力とによって二重電信機が発明され、一本の電線を使って両端から同時に送信する道が拓かれた。続いてエジソン、スミス等のよって四重電信機が発明され、1本の電線を使って両端から同時に各々2音信を伝送する方法が実現した。また、メイヨー、ボードット、グレイ等は多重電信機を発明した。1本の電線を使って両端から同時に多数の音信を伝送する方法である。これはまだ広く用いられてはいないが、沿革中に記述しておくべき方法と思われる。デラニーの多重電信機は最近の発明だが、その方法はメイヨーらのものに比べて大いに優れているので、既に広く実用化されている。今では通常機器の送信速度で以って、1本の電線を使って同時に6音信を送受信できるようになった。

送信速度について見ると、ヒュースの発明した活字電信機では送信速度がおよそ毎分60-70語(欧語)であり、通常器械の23倍に及んだ。しかし高速電信機の分野で近年著しい進歩をもたらしたものは、ホウィットンの発明した自働機である。1877-78年頃においては、機械各部の構造がまだ精巧でなかったために、送信速度は毎分およそ70-80語であったが、今では毎分200-300語の速度で実地に通信が行われている。実に驚くべき進歩である。

電話機はベルの発明から僅か10年余だが、学術が日に日に進歩する時節にあって、近来非常に進歩している。ヒュースの顕微音響機やエジソンの炭素送話機などは、電話機の著しい進歩を生み出す原因となった。ベルの発明当時は僅か数100間の距離を隔てて通話するのも困難だったが、今では数100里の距離を隔てて通話できるだけでなく、音声が明瞭で全く困難を感じないほどのレベルに達した。ベルギー人リッセルベルギーは電信と電話を同じ電線を使って伝送する方法を発明した。これは有益な方法で、特に我が国のように高速電信機を使っていない国において最も便利な方法である。


(5)その他の電気技術の進歩

電灯技術は、シーメンスとホウィットンが動力発電機を発明して以来、着々と進歩し、アーク灯、白熱灯共にその需要が広がっている。なかでもアーク灯は市街、停車場、製作所等に用いる場合、白熱灯に比べて少し利益があることが実験的に証明された。白熱灯は89年前、即ち発明から12年後の時点では1燭力1時間あたりの価格は5-7厘であった。その後、シーメンス、グラム、エジソン、ホプキンソン等の貢献によって発電機の能力が非常に高まり、スワン、エジソン、シーメンス等の努力で白熱電灯の製造方法に多少の改良が加えられ、またエジソン、フォルブス等の学理と実験による研究によって、電気の配分法が一変されたことにより、今日では1燭力1時間の価格は2-3毛にまで下がった。こうして電灯の需要は高まり、今やガス灯を圧倒する勢いである。これは決して偶然のことではない。

エネルギー伝送技術も近年では電車、電気船等に利用されて大いに好結果を生んだ。電車は1879年、ベルリンにおいてシーメンスが初めてこれを試験してからまだ10年しか経っていないのに、既に数10箇所において電気鉄道が営業されている。また電気の作用によってエネルギーを遠隔地に伝送する方法もまた、実地試験で好結果を得た例が少なくない。なかでもフランス人デプレが行ったパリとクリルの2箇所間エネルギー伝送試験(その距離15里)は最も著しいものである。クリルにおいて汽機(蒸気機関)によって動力発電機を運転し、そこで発生した116馬力の電気エネルギーを電線によって送り、パリに据えつけた発動機(電気モーター)を動かしたところ、伝わった電気エネルギーは52馬力であった。生じた損失は45%にとどまった。望外の好結果である。

航空技術の発明は数100年前に遡ると言われるが、種々の困難があって近年に至るまで著しい進歩がなかった。しかし、蓄電器の発明は航空技術を一変させた。1884年、フランスのレナーとクリブは電気飛行船を製作して試験した。同氏らは同年8月9日、シャレーにて飛行船に乗り、毎時およそ5里の速度で23分間、空中を航行した後、再びシャレーに戻った。その有様はまるで汽船が海を航海するようであったという。

その他、電気メッキ、電気プレス、電気地雷、電気水雷、更に電気医術に至るまで、これらの技術が近来ますます進歩していることは疑いようのない事実である。


(6)電気電信の未来予測

以上、電気学の沿革を考察し、将来を推測するに、電気に関する学術工芸の将来における進歩もまた大いに期待できる。今仮に予期すべきものをいくつか挙げれば、

1本の電線で毎分数100語の速度で同時に数通の音声を送受信する時代が来るであろう。
海や川で隔てられた数里の遠隔地間で自在に通信や通話をする時代が来るであろう。
音声伝送の方法がますます進歩し、例えば大阪長崎は言うまでもなく、上海香港のように数100里離れた場所で演じられる歌や音楽を、東京において居ながらにして楽しむ日が来るであろう。
エネルギー伝送技術も益々巧みになり、例えば大きくは米国ナイアガラの水力をニューヨークに伝送し、電灯に変えて全市街を不夜城とすること、小さくは我が国日光山華厳の滝のエネルギーを東京に伝送して東京市街に電灯を灯し、あるいは馬車人力車等を運転するといった奇観を目にすることも遠い日のことではないであろう。
陸に電気鉄道、海に電気船舶を使うことが増え、黒煙白煙を吐かない鉄度列車や水路船舶を見る日が来るであろう。
電気飛行船の改良により航空技術が高度化する結果、飛行船に乗って空中を散策し、山紫水明の地を訪ねたり、名所旧跡を探索したりする日も来るであろう。
更に一歩を進めて学問的な思索を巡らせば、物理学者たちは、光もまた電気、磁気、熱と同様にエネルギーであり、ただその種類が異なるだけだと深く信じている。従って、電気や磁気の作用によって光を遠隔地に輸送し、遠隔地にいる人と自在に互いの顔を見る方法が発明されることも、あながち夢ではないであろう。
電話機の原理によれば、どんな音声でもその音調性質はすべて電気の波動に変えることができる。またトムソンの毛管自記機の原理に照らせば、電気の波動を自記(自動記録)することも可能なはずだから、音声を自記(録音)して、演説談話その他いかなる音声でも機械仕掛けによってこれを記録する方法が発明されるであろう。
地電気、地磁気、空間電気は互いに密接に関係しているだけでなく、地震、太陽黒点、極光(オーロラ)、及び地球上の気象等にも関係するものなので(地震学会雑誌第9巻に掲載された演者の論文「地電気の説」を参照)、地電気、空間電気の変動等を観測することによって地震を予知したり、穀物の豊作凶作を予知したりする方法が発明されることを期待するのも無謀なことではない。

(7)当面の技術課題

以上で電気学の現在及び将来の概況を見たが、それをもとに深く考えれば、本会のように電気の学術と工業技術を進歩させることを任務とする組織にとって、今後研究すべきことを察知することは難しくない。以下にその大略を挙げて諸君の参考に供したい。

最近、電気学者たちの注目を集めている特別の現象として、自己誘導(Self-Induction)と相互誘導(Mutual-Induction)がある。その性質と効果を試験して、それが電信機、電話機、動力発電機の動作にどんな影響を及ぼすかを研究すること。
磁気力の変動し易さ(励磁、消磁の効率)は、鉄や鋼鉄の堅さ柔らかさ、緻密さ粗さとどんな関係にあるかを研究し、これによって各種電気機器の改良を図ること。
静電誘導(Electrostatic Induction)と電磁誘導(Electromagnetic Induction)の現象を観測して、電話における妨害を停止または軽減する方法を定めること。
電気分極(Electric Polarization)現象を研究して、蓄電器の改良に役立てること。
電気分極を用いることによって、河川や海で隔てられた遠隔地との間で電線を用いずに電信電話の通信を行う方法を研究すること。
炭素送信機における抵抗の変動が圧力によるのか、接点数の増減によるのか、もしくは分子レベルの微視的な働きによるのかを試験観測し、電話機の動作原理を詳しく研究すること。
硫酸銅溶液や硫酸亜鉛溶液の濃度が電流の強弱動静にどのような効果があるかを試験し、電気メッキ、電気精錬の技術を改良すること。
電気を流すことによって電線に発生する熱量と、電気の強弱とがどういう関係にあるかを試験し、電灯技術における危険を予防する方法を確立すること。
今後、電灯、電気メッキ、電気精錬等において最も必要となる各種電気計器の原理と構造を研究し、実地において最も便利で精確な良機を作ること。

以上の諸項目は、実地電気学術上、目下緊急の事項である。


(8)解明すべき学問的課題

純正電気磁気学の分野で最も重要な課題として、以下のものが挙げられる。

熱が物体の電気及び磁気上の諸性質をどう変動させるかを研究し、熱と電気、磁気との関係を明瞭にすること。
光がセレニウムなど電気導体の抵抗をどう変動させるかを研究し、スミス、アダムスらの発見した光と電気との関係を明らかにすること。
磁気力が光の性質をどう変化させるかを探索し、ファラデー、ケルらの発見した光と磁気との関係を明らかにすること。
張力、圧力など機械的な力が物体の電気的磁気的諸性質をどう変化させるかを研究し、力と電気、磁気との関係を明らかにすること。
地電気、地磁気、及び空間電気の出没変動が、太陽や月の運動、極光(オーロラ)の出没、大気圧力の配分、気象の変動等にどう関係するかを観測し、宇宙諸現象間の関係を研究すること。

(9)インフラ整備の問題

純粋な電信技術上の緊要問題として、以下の問題がある。

我が国で使用する各種電気機器の得失はどうか。通信が頻繁に行われる電信線に使用する場合、高速電信機と多重電信機のどちらがよいのか。
電信局において電報送受信のために電話機を使用するのは良いことなのかどうか。

電話技術においては、以下のような肝要問題がある。

電話線を建設するには、単線にすべきか複線にすべきか、また空中線と地下線のどちらがよいか。
電話交換法を制定するにあたって、どういう法律がよいのか。
同じ電線を使って電信と電話を送受信する方法はどういう場合に利益があるのか。

電灯技術上の重要問題は以下のものである。

電気灯はガス灯に比べてどんな場合に利益、不利益があるのか。
市街や室内に電灯を設置するさい、どのような電気配分法を用いるのが最も有利か。変圧器(Transformer)を使用すべきかどうか。
変圧器を使う場合、二次発電機(Secondary Generator)と蓄電器とではどちらが有利か。

エネルギー電送技術上の緊要研究課題は以下のものである。

電線によってエネルギーを遠隔地に電送し、これを実用に供するには、電線から直接に引いて使うべきか、いったん蓄電器に移した後に実地に利用すべきか、その利害得失はどうか。
発電機と発動機とは、その構造がどんな点で共通で、どんな点で異なるべきか。

以上に説明したことをもとに考えれば、本会会務の範囲は非常に広大である。会員諸君が学理研究に基づき、あるいは実験結果に照らして研究すべき課題は決して少なくない。会員諸君の熱心な協力によって、将来、本会がその目的を達成し、この電気学会が我が国の世運を高め、人々の生活を幸福にするうえで不可欠の存在となることを熱望するものである。