「去華就実」と郷土の先覚者たち

第36回 連載を終えるにあたって


3年間にわたって毎月連載してきました「『去華就実』と郷土の先覚者たち」シリーズを終了いたします。

宮島醤油の社是である「去華就実」は中国の故事から引かれた言葉ではなく、明治時代に日本で作られたものです。明治41年(1908年)の「戊申証書(ぼしんしょうしょ)」(明治天皇が国民に訴えた文章)に使われていますが、それが最初なのかどうか、もともと誰が作った言葉なのかは分かっていません。しかし後に宮中顧問官となった小笠原長生(唐津藩主の後継者)が弊社創業者である七世宮島傳兵衞にこの言葉を書き贈ったことや、唐津藩藩医の子である天野為之がこの言葉を早稲田実業学校の校是と定めたことなどから、郷土の人々の関与が示唆されていました。そのルーツを調べてみようというのが、この連載の出発点でした。

結局、ルーツ探しの旅は明確な結論を得ることなく終わるのですが、明治という時代を駆け抜けた郷土の先人たちの足跡を追ううちに、しだいに、その方々の生涯を発掘して紹介することの方がずっと有意義だと思うようになりました。このため、一年以内に終わろうと思っていた連載が3年間36回を数えるほど長く続いてしまいました。紹介した先人たちは、天野為之、大隈重信、高橋是清、辰野金吾、曽禰達蔵、掛下重次郎、麻生政包、吉原政道、大島小太郎、奥村五百子、高取伊好、竹内明太郎、竹尾年助、長谷川芳之助、吉岡荒太、林 毅陸、志田林三郎、黒田チカ、宮島傳兵衞の19人です。原則として学術と産業分野の方に限定したのですが、こうして調べて行くと、郷土の先人たちの努力の上に我々の今があるのだということがひしひしと痛感され、自らを省みる機会ともなりました。

私自身について言えば、連載中に会社の業務もしだいに忙しくなり、2004年の3月には社長職に就きました。忙しい社長業の合間に連載を書くのは大変な面もありましたが、読者の方々から励まされることも多くて、むしろ楽しい時間を過ごすことができました。ここで学んだことをこれからの会社経営に生かして、先人たちに恥じない立派な会社を作ってゆきたいと思います。

2004年12月1日
宮島清一


長い間のご愛読、ありがとうございました。社長の連載記事はこれにてしばらくお休みします。

連載の最後に七世宮島傳兵衞の生涯を記しましたが、その中で、経済史家である神山恒雄教授のご研究を紹介しました。同教授の論文を収録した冊子が若干部数ありますので、希望される方にはお分けしたいと思います。

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