走らんか副社長
【醤油の産地へ 北行】

45区 北柏~天王台

前回訪問した旧吉田家住宅近くの白菜畑の土中から、大砲の砲身のような管が 突き出ている。これは大砲ではないのだが、戦争に関係したものであることには 違いない。「柏の戦争遺跡」というパンフレットを頼りに訪ねたのだが、小高い丘の上にあるこの畑の下にはロケット戦闘機秋水の燃料庫があって、換気(排気)のための管が今もそのまま残っているのだ。

柏周辺はかつて軍の施設が数多くあった所で、このように戦争の歴史を伝える遺跡がいくつか残っている。とはいえ、戦後70年が経過しようとしている現在ではその跡は少なく、陸軍の飛行場があった広大な土地は県立柏の葉公園や東京大学柏キャンパスになっているし、航空機の部品を作っていた日立の工場跡地は日立サッカー部の練習場を経て、今はJリーグ柏レイソルのホームスタジアムになっている。

「柏から世界へ」これは柏レイソルがACL(アジアチャンピオンズリーグ)で海外のチームと戦う時に掲げるスローガンだが、この言葉が70年前に同じこの地で掲げられていたとしたら、まったく違う意味を持っていたことになる。


今回は北柏駅から街道をはずれて、手賀沼沿いの道を進む。沼のほとりでは白鳥が二羽せっせと雑草を食べている。飼われている様子ではないので野生なのだろうが、人を警戒する様子はない。こちらが手を振ると尾を振って応えてくれた、と思ったら糞をした。

近くのヨシ原には、身を隠すように巨大な白鳥が潜んでいる。と思ったらこれは白鳥型足漕式遊覧船が座礁したまま放置されているのだった。まったく、景観を損ねる物はさっさと片付けていただきたい、と一瞬思ったのだが、すぐにそうではないと考え直す。小笠原あたりの島で、絶滅が危惧されているアホウドリを定着させようと鳥に似せた模型を置いたところ、これに誘われたアホウドリが巣をつくって効果をあげているという記事を読んだ記憶がある。(鳥がアホウだから騙されている、などと言ってはいけない。)

この白鳥船も、越冬地を探しながら上空を飛んでいる白鳥が「おっ、我々の親分がいる」と思って降りてくるよう置いてあるもので、先ほどの鳥はその成果なのだろう。そう思って写真を並べてみると、なるほど、どちらが鳥でどちらが船かまったく見分けがつかない。(そんなわけはない。)


付近の案内地図を見ると、沼から一本奥まった道には志賀直哉邸跡などの表示があるのでそちらを通ってみると、これがなかなか見どころ満載の道で、まずは台地の上に古墳が残っていて古墳好きの私としては満足する。そして台地に沿ったこの土地は手賀沼が見渡せる(今は高い建物があって見えないが)景勝地で、大正時代には白樺派の文人たちが多く住んでいたそうだ。

志賀直哉の住居跡には、使われていた離れの書斎がきれいに手入れされて残っている。なお、当時白樺派の夫人がつくる味噌味のカレーライスが文人たちに好評だったそうで、「白樺派のカレー」は我孫子市のご当地グルメになっている。


お寺と見紛う立派な建物もあって、それは旧村川別荘とのこと。村川堅固と堅太郎の親子二代にわたる歴史学者の別荘跡、と説明を読んでも、さあ知らないなあ、という感想だったのだが、入ってみると展示品に懐かしいものを発見する。今から40年ほど前、高校時代に学んだ“山川出版の世界史”だ。この教科書の著者でしたか、その節はたいへんお世話になりました、と頭を下げる。

沼を周回する道は秋に開催される手賀沼エコマラソン(ハーフ)のコースになっていて、私は過去3回走ったことがあるのだが、大会で通過するだけでは知り得なかったことがたくさんあった、と当たり前のことを感じつつ天王台駅へ向かう。


3月4日に、私の叔父にあたる宮島傳二郎相談役が85年の生涯を閉じました。相談役がこのホームページに連載していたコラムは、先月掲載された141回が最終回になってしまいました。

ここで“でんじろうコラム”の著者傳二郎と“走らんか!副社長”の著者不肖私を比較してみよう。人として歩む道はどうあるべきかを思索していた者と、今日はどの道を走ろうかと考えている者。日々歴史をひもといていた者と、練習後にシューズのひもをといている者。文章に教養があふれていた者と、文章で笑いを強要する者。相談役と冗談役。いずれにしても、極端に趣の違う両者があることでこのホームページのバランスが保たれていたと思うのですが、その片方の連載がなくなってしまうことは寂しい限りです。

毎月更新するという決めごとを引継いで、このコラムはまだまだ続けます。

2015年3月

今回の走らんかスポット