走らんか副社長

番外編 競馬場で走らんか!

吾輩はである。名前はミヤジマショウユ。第1回船橋競馬場ダートレースなるものが開催されるというので、本日10月1日、馬としてレースにデビューするのである。吾輩の名前は、登録のときに自分で決めたものであるが、会社の宣伝だけを考えた何のひねりもない名前で、少々反省している。

ゲート内で気合十分
馬名入りゼッケンにご注目

日本で初めて、競馬場のコースを競走馬以外が走るという、競馬史上および陸上競技史上に残る前代未聞の歴史的イベントとあって、競馬好きやらマラソン好きやら物好きやらが、馬になりすまして集合したのである。競馬好きのマラソン好きの物好きである吾輩は、勇躍出走するのである。

競馬好きといえば、吾輩は今から30年前の1981年に開催された、記念すべき第1回のジャパンカップを東京競馬場で生観戦したのであるが、その時一緒に行った女性が、今日も応援団兼調教師として同行してくれている。いや、ほんの少しのろけたかっただけである。

競馬場のダートコースは、ダート(泥)といっても実際には砂である。レース前の返し馬(ウォーミングアップのこと)での感触は、まさに海岸の砂浜そのものである。距離は長距離専門馬には短すぎる1200mであるが、侮るなかれ。ふかふかの砂浜を全力で1200m走ることを想像していただければ、このレースがいかに過酷、かつ馬鹿馬鹿しいものであるかが理解できるであろう。

スタンドには野次馬

これ本物の馬

どんなライバルが出走してくるのか、配布された競馬新聞を読む。本日の第8レース 男子系50歳代以上11頭立て、吾輩は4枠(5)番、今日の馬場状態は良である。吾輩も含め、みなどこの馬の骨ともわからぬメンバーなので予想のしようがないが、所属がAC(アスリートクラブの略。公共広告機構ではない)や陸上競技部と書かれた馬がおり、醤油会社所属では走る前に肩書で負けている。表彰は1着のみであるので、こいつは厳しい。

話は変わるが、選挙に立候補することをなぜ「出馬」と言うのか。それなのに競馬のレースに参加することはなぜ「出馬」ではなくて「出走」なのか、疑問である。


スタート地点に集合して、さりげなく他馬を観察する。各馬とも調教十分、よく馬体が絞れているとお見受けし、この時点で優勝は厳しいであろう、と観念する。

いよいよ発走時刻。興奮して暴れ出す馬はおらず(当たり前か)、係員の指示に従って各馬おとなしくゲートイン、そしてスタート。

このレースで何着に入ろうが、タイムがどうであろうが、何ということはないのであるが、走り出したら本気になってしまうのが競走馬の習性である。吾輩は大逃げを打った先頭の馬を追って、集団を引っ張る2番手を懸命に進んでいたが、600m付近で一頭にかわされ3番手、そのまま最後の直線へ。それにしても走りにくいのなんの、砂に足を取られてよれよれである。

ゴール前、ここで騎手から「走らんか!」と激しく鞭を打たれたら、喘ぎながら頑張ったかもしれぬが(残念ながらそんな趣味はない)、前の馬を抜き返す脚力も気力も残ってはおらず、そのまま3着でゴール。しかしながら、4着以下には大差をつけたぞ、フンッ!(鼻息)。

なお、コース内側の白い柵は埒(らち)という。物事が解決しないときに言う「埒があかない」のらちである。その埒の内側にいるのは、同時開催のダート駅伝競走に出走している馬たちである。


結果は11頭中の3着、記録6分37秒。下が砂浜でこの記録はまずまずだと思うが、ちなみに、本職の競走馬はこの距離を1分15秒前後で走るのである。馬は速い!

久々に全力でぜーぜー息を切らして走ったら気管がおかしくなって夜まで咳が止まらず、たいへんな一日となったのであった。次回は人に戻っておとなしく日光街道を進もう。 


こんな軽薄な内容を格調高いホームページに掲載して良いのか、との意見があっても、馬の耳に念仏。
 

2011年10月

今回の走らんかスポット