私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

 今年の夏も暑い。
 大樹の蔭に佇むと、この炎天下、セミは懸命に鳴き続ける。そんな蝉に想いをめぐらす。

 ジーン、ジージー。
 夏の朝は早い。窓を開ける。
 城下町の風情を残す大樹の緑が眼に沁みる。“蝉しぐれ”が耳朶を揺るがす。じっと耳を澄ますと、芭蕉の句が浮かぶ。
 閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声
  清閑、寂寞、夕暮れ時の出羽立石寺(りっしゃくじ)の全山は静まり返っている。ただ蝉の鳴き声だけが岩に滲み透るように聞こえる。
立石寺 立石寺根本中堂にある句碑
 古池や蛙飛び込む水の音
とともに、永遠と瞬間を対比させる名句として人々に愛され、人口に膾炙されてきた。
 徒然なるままに、解説を繙いたことがあった。面白いことに、この句の蝉は「アブラゼミか、ニイニイゼミか」で、昭和の初め頃、二人の文人が論争している。
 その一人は、医師、歌人である斉藤茂吉。もう一人は、漱石の薫陶をうけた文芸評論家の小宮豊隆である。
 茂吉は、蝉時雨のような力強い鳴き方は絶対アブラゼミでなければと主張する。
 一方、豊隆は「閑さや」とか「岩にしみ入る」という句は、威勢のよいアブラゼミよりも、声が細く澄み切っているニイニイゼミの方がふさわしい。
 また、芭蕉が出羽、立石寺を訪ねたのは、元禄2年5月下旬、太陽暦では7月の7〜8日頃、その頃はまだアブラゼミは鳴かない。だからニイニイゼミだと反論する。
斉藤茂吉【1882-1953】
山形県出身の歌人、精神科医。伊藤左千夫の門下であり、アララギ派の中心人物。
アブラゼミ
小宮豊隆【1884-1966】
大正〜昭和のドイツ文学者、文芸評論家。東大在学中、夏目漱石の薫陶をうける。漱石全集を編集。
ニイニイゼミ
 斉藤茂吉はあれだけ情緒豊かな和歌を詠みながら論戦を好み負けず嫌い、侃侃諤諤になると憤怒したという。
 作家、医師の北杜夫は、この蝉の句に関して、父 茂吉についてこう語る。

 50を越える論戦の中で、茂吉が自ら負けを認めたのは、芭蕉の「閑さや・・・」の蝉についてのひとつだけである。

 静寂の中で、か細いニイニイゼミより、力のあるアブラゼミの方が芭蕉の感覚にふさわしい、と思ったからだろう。
 しかし、第2番目の季節のことを云われ、ハタと困ったのだろう。昭和3年の夏、ついでがあり立石寺に立ち寄り蝉の調査をする。しかしこの時は、すでに8月に入っており役に立たない。
 翌4年、7月4日夜、東京を発ち再度立石寺へ、ところが大雨となり、蝉の泣き声などただのひとつも聞こえない。翌日も雨、茂吉はやむを得ず現地の人に頼んで帰京する。
 その年の8月、山形に行ったとき、彼の前には待望の立石寺の蝉の標本がずらりと並んでいた。大部分はニイニイゼミだったが、アブラゼミの姿もあった。・・・アブラゼミがあったにもかかわらず、あっさりとカブトをぬいでいる。
 「私の結論には、その道程に落度があって駄目だった。動物学的には油蝉を絶対に否定し得ざること標本の示すごとくであるが、文学的にはまづ油蝉をば否定していい」
 茂吉は、季節のことを豊隆から指摘され、内心シマッタと思ったのだろうが、生来の負けず嫌いが再三にわたり蝉の調査をさせたのだろう。
 北杜夫は「茂吉の才能の秘密のかなりの部分は、あの怒りっぽさにあるのかも知れない」と振り返っている。
 いずれにしても、茂吉の徹底した探究心には、感服、感動させられる。
 その後、この論争は、一応ニイニイゼミで結着しているが、ほかに、涼しげに鳴くヒグラシではと想像したり、あるいは蝉は一匹かどうか、等々 論は絶えなかった。
 さらに、蝉が問題なら、岩の種類は何だろうと問題になる。現に小宮豊隆は、立石寺の岩が凝灰岩のような柔らかい岩だからこそ「岩にしみ入る」と感じられたのだろう、と云っている。
 ここまで穿鑿(せんさく)されるとは・・・芭蕉が聞けば苦笑しているかも。
 暑い日が続く。
 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」  
 静かな山寺、蝉の声、閑かさが沁み込む岩、人それぞれの感性で、素直にこの名句を鑑賞したい。
 急速な変革が進行する喧騒な社会生活の中、たとえ一瞬でありても、蝉しぐれの中で静寂の時をもちたいものである。
 このコラムは、8月15日、蝉しぐれを聞きながら認(したた)めている。
 60年前の昭和20年、私は中学4年生だった。勤労動員で大村市の第21航空廠、疎開していた萱瀬の工場で終戦の詔勅を聞く。暑い日だった。その日も蝉は、力いっぱい鳴いていただろうが、全く記憶にない。
 今、60年の歳月を噛みしめながら、眼を閉じ、蝉の声に耳を澄ませる。
 参考文献
「茂吉晩年」 北杜夫著 / 岩波書店
「芭蕉 観賞 日本古典文学」 井本農一編 / 角川書店
「奥の細道」 山本健吉著 / 講談社
「日本文学の歴史 近世編」 
         ドナルド・キーン著 徳岡孝夫訳 / 中央公論社