私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

 トリノ、冬季オリンピック、女子フィギュアスケート、荒川選手の昂奮、いまださめやらぬ、5月7日。引退、プロへの転向の記者会見を見入る。落ち着いた発言の中に、古い言葉が飛び出し、思わず、耳ををそばだてた。
恩返し
(一) さわやかな転向
「やり残したことはありません」
「小学校1年生のようにわくわくしています」
 トリノ、2006年冬季オリンピックのフィナーレを飾るにふさわしい完璧の演技で、日本国民を魅了した、荒川静香さんのさわやかなプロ転向の発表。
今後は? の質問に
「チャリティショウなどを通し、一日でも長くスケートの良さを伝え、お世話になったスケート業界に“恩返し”をしたい」と微笑ながら答える。
“恩返し”、近頃はほとんど聞かれなくなった言葉の中に、彼女の周囲の方々への感謝と、スケートへの愛情が滲みでている。
(二) 鶴の恩返し
 荒川さんの「恩返し」から、「鶴の恩返し」、山本安英演ずる「夕鶴」が思い浮かんだ。
 昔々、金蔵という男が山里に住んでいた。仕事の帰り道、若者たちが一羽の鶴をいじめていた。金蔵はあわれに思い、ありったけのお金を出し鶴を買い上げ放してやった。鶴は喜んで飛び立った。その夜、金蔵の家に美しい女があらわれ、私をあなたの妻にしてくださいという。仕方なく家に置くと、女は織物が得意で、織った布はとても高く売れた。
  ある日、女が「ご恩返しに、あるものをさしあげますので、7日間決して私の部屋をのぞかないで下さい」といって、その日から夜も昼もコットンコットンという音が続く。
 金蔵は7日目になって待ちきれず、戸のすきまから部屋をのぞくと、そこには女ではなく、やせ衰えた一羽の鶴が、自分の羽をむしりとり、機(はた)を織っているではないか。金蔵の叫び声に、機(はた)は止まり、羽のない鶴は「だんな様、なぜ約束を破ったのですか。私はごらんの通り、あなたに助けてもらった鶴です。ご恩返しに私の羽で織った「おまんだら」をさしあげます。さようなら」といって消えてしまった。
 その後、金蔵は感ずるところがあり僧となったということです。
(三) 恩、報恩
 お世話になった「恩」には、いつかは「ご恩返し」をせねばという道徳的な感情は、私たち日本人の心に深く染み込んでいるが、いつ頃からどう育っていったのだろうか。
 恩(めぐみ・いつくしみ)の源は、佛教に由来しているようだ。
佛教は「一切のものは、因縁(直接的・間接的要因)によって生滅する」という。従って、自分という存在は、自分だけで存在するのではなく、多くの他者に依存して存在している。そう考えると、すべてのものに感謝・報恩の気持ちをもって精進努力しようという思想が高まってくる。 
 四恩という、一には、父母の恩、二には衆生の恩、三には国王の恩、四には、三宝(佛法僧)の恩、とくに衆生の恩は、道で袖振り合うような無縁の人々でも、実は高いところから見ると、互いにつながり助けあっていると解すれば社会への連帯感のようなものが自然に芽生える。
 爾来、武士社会における主従関係、徳川に入って、五輪(君臣、親子、夫婦、長幼、朋友の道)五常(仁義礼智信)の儒教の精神とも融けあい、恩、報恩の観念が育まれる。そして、時には、自分の損得をも省みず、恩に報いようと懸命に努力する。この人情が、日本人の勤勉を生み、ひいては、労働倫理観を築いていく。
(四) 縁と恩
 縁を尊び、恩に報いる。
この日本人が育てた倫理訓は、せち辛くなった世相の中で、見直されてもよいのではなかろうか。荒川さんの「恩返し」をしたい、とのさわやかの言動は、イナバウァーをより美しく見せてくれる。
参考文献  日本人の職業倫理 島田Y子 有斐閣