私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

TOB、M&A、―
あんな大きな企業が合併する。
ビール業界、百貨店、食品業界等々・・・・・・
それぞれ事情があるのだろうが、長い歴史と伝統、―暖簾(のれん)があるのに・・・・・・
あらためて“のれん”を考える。
のれん
 
のれん
 都会の街角に夕闇迫る頃、残業を終えたサラリーマンたちは赤い灯がともる屋台の「のれん」を押し分ける。
 「オジサン、一本つけて・・・・・・」
 おでんの湯気が、かすかに揺れる。
 のれんにこんな思い出をお持ちの方々も多いことだろう。
 
 のれん。本来は、禅宗のお寺で、冷たい風を防ぐために簾の隙間をおおう幕布を垂らしたことにはじまる。もっぱら木綿が使われる。暖簾、中国語のノウ(宋音)レン、またはノン(唐音)レンが訛ったのだという。
 その後、日除け、塵除けに、または仕切りのために家、部屋の出入り口にのれんを下げるようになった。江戸時代も中期に入り、産業が発達し、市が立ち、店を構えるようになると、商家ではこの“のれん”に屋号・商号を染め抜き、軒に掛け、宣伝、広告に利用した。これがいわゆる“のれん”の嚆矢(こうし)だろう。時が経つにつれ、製造、販売が繁盛してくると、“のれん”に商(あきない)の信用を託するようになり、その後、商人の活動全体を綜合したものの総称として使われていく。「のれん分け」、「のれんを継ぐ」等々。
山崎豊子「暖簾」
 白い巨塔、大地の子、等々、数々の大作を発表している山崎豊子の処女作として理想の大阪商人を描いた“暖簾”を一気に読み了った記憶が蘇る。
 主人公、吾平は、一介の丁稚から血のにじむような努力を重ね、ひたむきな誠実さに徹し、憧れの「浪花屋」ののれんを分けてもらう。この獲得した「のれん」に対し、彼は絶大なる信頼と自負をもっている。
 吾平は、暴風雨に遭遇し、思わざる金融難に遭遇し、銀行の支店長と交渉する。支店長は言う。  
「暖簾」 山崎豊子 著
 「浪花屋さん、あなたは家を抵当にして借り入れて建てた工場がやられた。今度は何を抵当とするのですか」
 問い詰められた吾平は、怒気を含んで相手を見据える。
 「・・・・・・浪花屋の暖簾が抵当だす。大阪商人にとってこれほど堅い抵当はほかにおまへん。・・・・・・暖簾は商人の命だす」
 この気魄に押されて、支店長も融資を承諾する。
 また、元店員の闇ブローカーの誘いに対しては、
 「大阪商人が闇稼ぎしたら、ほんまの商人は無うなってしまいよるわ……」
 と、商業道徳を説く。
 吾平の後を継ぐ次男孝平は、大学出のインテリ商人と笑われながらも、かたくなに商業モラルを守り、統制機関の役員としても堕落せず、戦後の動乱期から高度経済成長期まで独自の才覚で乗り切り、浪花屋を再興する。
 
 親子2代にわたり「暖簾」に全身全霊を打ち込んだ“大阪商人”の生き様は、発表されたのが昭和32年、日本経済は、まさに高度経済成長へまっしぐら。多くの人々を魅了した。
暖簾
 吾平、孝平が育て守り通した「のれん」は、単なる経済的なものを超えた、社会的な存在であり、今なお、法律用語として生きている。
 法律学小辞典(有斐閣)を繙く。
 「暖簾(ノレン)、多年にわたる一定の店舗での営業によって、商人が得る無形の経済的利益。その店の伝統、信用、屋号、商標看板、得意先、仕入先、営業上の名声、営業の秘訣、経営の内部組織等……『経済的価値のある事実関係』。旧商法285条の7では営業譲渡、合併により、有償で暖簾を譲り受けた場合に限り、貸借対照表に計上し、…と規定されている。税法、会計学上の営業権、企業権といわれるものは、ほぼこれに当たる」
 また、別の視点から暖簾を考えてみる。
 そもそも、企業は、土地、建物等のモノ、カネ(資本)、さらにヒトがあって存在する。そのうちモノとカネは貸借対照表で金額となって表示できる。しかし、ヒトは生身、その価値は表現できない。ましてや、ヒトビトの継続的な結合関係の価値は評価できない。このような、人的要素とモノ、カネを含めて活動する「有機的な組織体」をひとつの社会的存在、ひとつの権利として認めよう。というのが暖簾であり、企業権であり第三者がみた場合、企業価値なのだろう。
 従って、たえず変動する。
 それだけに、継続し続けるのに、瞬時の油断も許されない。
 ところが、とてつもなく永い伝統をもつ企業が存在する。
暖簾、老舗、伝統
 暖簾といえば老舗(しにせ)が思い浮かぶ。
 日本で最も古い老舗は?
 大阪の「金剛組」は西暦578年(敏達天皇7年)以来、神社、佛閣を建てつづけ、2007年までなんと1429年の歴史を誇るという。「千年働いてきました」(野村進 著、角川書店)
 上場会社では松井建設は419才という長寿。続いて、住友金属、養命酒、松坂屋、そして、第5位にしょうゆ製造のキッコーマン、344才と続いている。
 1981年発足の「長寿企業クラブ」エノキアン協会(パリー)は、(1)創業200年以上 (2)創業者が分かっている (3)経営状態が良好であることを条件とする。その研究によると、長寿の秘訣は(1)環境に敏感 (2)強い“結束力” (3)寛大 (4)保守的な資金調達 という。
 日本の上場企業の長寿第1位の松井建設は、16代目の松井会長を中心に結束、資本比率30%と建設業界にあって財務面は安定。第2位の住友金属鉱山は「財務の変遷、理財の損失を計り、・・・・・・いやしくも浮利に趨(はし)り軽進すべからず」と事業精神に生き抜く知恵がある。「会社とは何か」(日本経済新聞社 刊)
 
 わが社は創業125周年を迎える。
 社訓としては、「去華就実」・・・華美を去り、実に就く。技術立社を目指し、“For the Tasty Century”食品業界を通して、社会貢献できることを念願し、益々の精進を重ねよう。