私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 でんじろうコラムへようこそ。
 
 日本人の職業倫理観を語ろうとすれば、“近江商人”の経営について語らなければならない。
 
近江商人の倫理観から
 
(一)「売り手よし、買い手よし、世間よし」
 職業倫理観を語ろうとすれば、“近江商人”の経営について語らなければならない。
 まずは、“三方よし”
 「売り手よし、買い手よし、世間よし」
 いわゆる三方よしの原典をたどってみる。多くの近江商人はそれぞれの商家に家訓、家法、家憲等を残している。その中の一人、神埼郡石馬寺の麻布商、2代目中村治兵衛(法名 法岸)は不幸にして、嫡男3代目治兵衛(宗寿)を34歳で亡くしたため、その娘(妙寿)に、片山家から養子宗次郎を迎え、4代目治兵衛を継承させた。
 ときに、2代目治兵衛は70歳、4代目治兵衛、養嗣子宗次郎15歳。
 2代目治兵衛は中村家と家業の存続を願って、「宗次郎幼主書置」を書き残している。
 その原文は他国へ商いに行く幼い少年に、言い含めるような、祖父としての愛情と厳しさに溢れている。
 現代文に書きかえてみる。
 
●他国への商いでは、自分のことは考えずに、訪れた国の人々の「幸せ」を優先しなさい。
●商いの利益は、一挙に高い利益を望まないこと。利益が出るのは、お天道様のお恵み次第と、控えめに考え、その国の人々のことを考えなさい。
●遠い国まで来たのだから、何とかもうけようと自分本位の欲望を抑え、心身ともに達者で信心を深めなさい。
 と書き残したのは、宝暦4年(1745)である。
 
 この「書置」は明治23年になり、井上政共氏の「近江商人」の中で、簡潔に次のように要約される。
 「他国ヘ行商スルモ総テ我事ノミト思ワズ、其国一切ノ人ヲ大切ニシテ、私利ヲ貪ルコトナカレ、神仏ノコトハ常ニ忘レザル様致スベシ」
 
 さらにこの歯切れのいい漢文調を、小倉栄一郎が見事なキャッチフレーズとして、完結し、“三方よし”として流布され、一世を風靡していく。
 
 売り手よし、買い手よし、世間よし
 この歯切れのよい、売り手よしで買い手も満足、一息ついて、このことは世の中のためになるんだよ―この最後の3句は、約300年を経過した現在でも私たちを納得させる。
 徳川の中期には自らの商い、ビジネスが世の中の活動として、社会のためになるのだということを認識していたと言えよう。
 
 もう少し平凡に言えば家業に精励し、その結果得た利益を慈善事業に寄贈したり、世間のために使うという「社会的貢献」の形もあるが自らの商売、事業そのものが「世間よし」とも解釈できる。
 
 現在、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)が叫ばれている。
 企業をとりまく関係者(株主、従業員、消費者、取引業者、地域社会の人々等々)への経営者の責任として、企業の社会的責任として把握されていたが、現在では規模が大きくなればなるほど、社会的公共性も大きく、その存続の社会的責任は多大になると解されている。とともに、企業も社会経済活動を構成している企業市民として企業活動そのものに「社会的責任」をもてというのが、最近の社会学者の解釈のようである。
(二)近江商人の経営の基盤となる帳簿組織
 近江商人の経営システム、とくにその帳簿組織は「帳合」と呼ばれ、経済的合理性を求める管理の基礎となっている。
 その内容は、取り扱う商品の種類、それぞれの家業の経営管理の考え方で各種多様であった。その中で、概括的には、次の7種の帳簿が用いられている。
大福帳  買帳  売帳  金銀出入帳 
判取帳  荷物渡帳  注文帳
 お分かりのように買帳は仕入、売帳は売上高、金銀出入帳は金銭出納帳、この3種の帳簿を総合して、各顧客の売掛状況を記したのが大福帳、これにはたくさんの座がもうけられ「総勘定元帳」が整理され、経営管理にあたっての反省と今後の方針が検討されていく。
 数多い商家の中で中井源左衛門家では、上記の帳簿から、借用之部、有物之部という現在の貸借対照表を作り、次いで利息の益と損、特別の損益を算出し加えると、損益額が一致する。
 当時、三井、鴻池が採用していた複式簿記が当時の日本では最も進歩していた。中井家がこの制度を採用したのは明和年間(1764~72)、今をさること約250年前。これらはすべて自らの経験と必要に迫られて、あるいは商人相互間で勉強しながら作り上げたものであろうが感心させられる。
(三)近江商人、日常生活と金銭感覚、始末する心、倹約とは。
 近江商人といえば天秤棒を連想される勤勉性とともに、日常生活は質素である。
 多くの商家の家訓、家憲等には、金銭に関して「始末」という言葉が散見される。始末は今でも「キチンとシマツしなさい」、「シマツに負えん子ダ」等、現在の日常生活に残されている。
 しかし、本来の意味では、始(はじめ)と末(おわり)。これを経済活動にあてはめると、始めに計画を立て、終わったら反省すること。即ちに年度初めに、予算(目標)を立てること、そしてその予算を正確に実行すること、となる。
 江戸時代の商人たちの生活はきちんと“始末”することを常に念頭に置いていたであろう。井原西鶴(1642-1693)の日本永代蔵巻4の中で、堺の堅実な商家の人間を次のように描いている。
 「人の身持、しとやかにして、珠盤(そろばん)は夢にも忘れず、細い暮らし向きには、質素に、見かけは見苦しくなく綺麗に、社会人としての義理も欠かさず生活するのが始末で、必要な出資までいたずらに惜しんで義理を欠くのは吝嗇、けちとして軽蔑される。
 元旦より大晦日まで一度にもりつけ(年度の予算を立て)その外は一銭も使わず・・・」
 吝(けち)と倹約(始末)とは全く異なる概念といいたいのだろう。倹約とは、経済用語として表現すれば「市場経済のもとで利潤の極大化を目指す商人や農民の理想的な行動様式」となって育っていったのだろう。倹約とは、数理的な合理性とも考えられるが、しまつには、倹約とは少し違った方言的なニュアンスが感じられる。このニュアンスはさてどう表現するか。
 近江ではこんな話が伝えられている。
 
●代表的近江商人のひとり、高田善衛門がその日の売上を計算したところ1両だけ多い。このため彼はお得意先に夜中数里の道を歩き、返しに行き信用を高めた。
●ある時期、悪い風邪が流行った。当然お薬は売れる。しかし、商人たちは従来の値段のまま卸している。
 
 こんな逸話が残されている。
 では、「ケチ」とはどんなことだろう。
 
●子どもに服を買うとき、子どもはどうせ大きくなるから、とダブダブの服を買うとする。最初は体にあわず、袖は擦り切れ、ひざは穴があく。ちょうど合うようになった頃には格好が悪い。子どもは喜ばない。
 
 いわゆる「ケチ」な使い方とはこんな消費をいうのだろう。
 
 近江地方には「しまつしてきばる」という方言がある。
 きばる、は現代語では“頑張る”だろうが、そんな堅苦しさがない。
 「しまつしてきばる」の調和は、このひと言で、何か、その人々の勤労観が伝わってくる。
 
 宮島醤油株式会社は社是として「去華就実」を旨として今日まで生きてきた。この雰囲気を大切にしながら、歩んでいきたい。
参考文献
「売り手よし買い手よし世間よし」 渡辺一雄 著 実業之日本社
「近江商人」 末永國紀 著 ミネルバ書房