私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 でんじろうコラムへようこそ。

 平成27年を迎え、ゆっくり年賀状を整理する。
 毎年のことながら古き良き友と再会する・・・
 
「朋、遠方より来る有り 亦、楽しからずや」
     
一、年賀状
 毎年、多くの方から年賀状を頂く。
 一枚一枚、「どうしているだろうか、元気かな」と問いかけながら、それぞれの方々との思い出にふける。
 私も齢八十路の中ば、85才となると、諸先輩からの激励の年賀状は、年毎に淋しくなってくる。そして、数少なくなった朋友からの一筆には励まされている。
 
二、朋、遠方より来る有り
 ふと、有名な論語、学而第一を思い出す。
 「子、曰く、学びて時にこれを習う。亦、説(よろこ)ばしからずや、
 朋、遠方より来る有り、亦楽しからずや・・・」
 何度か、この成句を読んでいると「また、・・・ならずや(不亦~ざるや)」にはどうだろう、そうだよね、と強くやわらかく話しかけ、相手の同意を得ようとする雰囲気が感じられる。
    また、「説(よろこび)」は「悦」と同意義。心の中で悦ぶこと、自得悦楽とあり、自らの心の中で一人静かに“よろこぶ”の意味を含んでいる。  
 楽は、こうして同じ先生のもとで一緒に勉強したり、遠くから講師のもとを慕ってくる“朋”も増えてくると、悦びが心の外にあふれ、みんなと一緒に喜びあうということだろう。
     
   三、徳は孤ならず、必ず隣あり  
 論語の里仁編にある一句
 説明するまでもなく、有徳者というものは、決して孤立するものではなく、人には必ず隣人があるように、これに共鳴する人が集まってくるものである。
 後世の学者は「隣はなほ親のごとし(親しむ者があるの意)、徳には必ず志を同じくするものがある」、「これは孔子の自らの体験を語ったものだろう」と説明している。「朋、遠方より来る有り」も孔子の実感であろう。
 論語は孔子の言動を、その弟子たちがまとめたものといわれるが、孔子を中心とした子弟の雰囲気は生気に溢れ明るいものだったことだろう。推測するに、まさに 理想的な学校だったことだろう。
 このコラムを書き終えた頃から「イスラム国」の日本人人質事件の報道がはじまる。
 あまりにも残虐な事件に脅威を感じつつ、“人間”の本質は・・・と頭を抱えている。
参考文献
「新釈漢文大系 1 論語」   吉田 賢抗 著    明治書院 刊