2.醤油の科学

1.世界に誇る万能調味料
2.大豆と小麦が主原料
3.麹(コウジ)づくり
4.醤油づくりの主役は微生物
5.発酵微生物の代謝経路
6.発酵の管理
7.製品化
8.醤油の抗菌・防腐作
9.丸大豆醤油とは
10.凝集性酵母による醸造技術

 

1.世界に誇る万能調味料


   醤油は、私たち日本人の先祖が発明した、世界に誇る万能調味料です。醤油には非常に多様な香味成分や栄養がバランス良く含まれているために、どんな料理にも合い、味の引き立て役として活躍します。ミヤジマの製品においても、焼肉のたれめんつゆなべ用だしラーメンスープドレッシングスターソースピラフソースなど、たくさんの製品に醤油が使われています。以下では、醤油がどのようにつくられるかを中心に、醤油の科学を紹介します。
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2.大豆と小麦が主原料


  醤油の主原料(原料穀物)は大豆小麦です。大豆はタンパク源、小麦はンプン源としての役割を担っています。約2気圧の加圧蒸気釜でふっくらと蒸し上げた大豆に、炒った小麦をほぼ等量加えたものを醤油の主原料として用います。この工程は、家庭の台所で行われる調理と同じです。大豆を蒸すことでタンパク質分子の折り畳み構造(高次構造)が破壊され、ランダムコイル型になります。
小麦を炒ることで、デンプンの結晶構造が崩れ、長いデンプン鎖がもつれ合った状態(糊化した状態)になります。ここまでが原料の前処理で、この工程は加熱殺菌の役割も担っています。後述するように、醤油づくりの主役は微生物です。微生物にとって食べやすい餌(えさ)を作ってあげるのがここまでの工程だと言えます。
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3.麹(コウジ)づくり


 いっぱんに穀物から発酵食品をつくるには、高分子(大きな分子)であるタンパク質やデンプンを分解して、低分子(小さな分子)にする必要があります。これを「消化」と言います。人間の胃や腸で行われる過程といっしょです。ビールなど西洋の発酵食品では、種子を発芽させる(麦芽をつくる)ことでこれを行います。

  いっぽう東アジアには、穀物をカビさせることで、つまり微生物の一種であるカビの力で高分子の分解を行うという、大胆でユニークな技術の伝統があります。この微生物をコウジカビあるいはコウジ菌(麹菌)と言い、この菌が出すプロテアーゼという酵素の力でタンパク質がオリゴペプチド、更にはアミノ酸という低分子になり、いっぽうアミラーゼという酵素の力でデンプンは糖という低分子に変わります。これらの化学反応は、加水分解と総称されるものの例です。だいたい一週間から数ヶ月かけて、この生化学過程は進行します。「カビ付けによる低分子化」というこの方法は、日本、中国など東アジアに独特のものなので、コウジは英語でもkoji、コウジ酸はkojic acidと呼ばれます。

  宮島醤油では、調理した大豆と小麦に、アスペルギルスオリゼ(Aspergillus oryzae)及びアスペルギルスソーヤ(Aspergillus sojae)と呼ばれるコウジ菌を接種します。アスペルギルスオリゼは俗に「日本コウジカビ」と呼ばれ、明治時代に東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師をしていたアールブルク(H. Ahlburg)及びコーン(F. Cohn)によって清酒コウジから単離され、命名されました。デンプン分解力の強いコウジ菌です。アスペルギルスソーヤは俗に「醤油コウジカビ」と呼ばれ、大正時代に喜多源逸、坂口謹一郎、飯塚 廣らによって醤油と味噌から精製、単離され、命名されました。タンパク分解力の強いコウジ菌です。

  これら日本原産種のコウジカビは、煮る、炒るなど調理した穀物でないとちゃんと食べないという、ちょっと贅沢というか、生意気な性質を持っています。いっぽう、中国のクモノスカビはもっと野生的で、生の穀物を消化します。

  さて醤油工場では、コウジ菌を摂取した穀物に湿った空気を与えながら、30℃で3日間置きます。すると穀物の表面はびっしりとカビで覆われます。これが「麹(コウジ)」の出来上がりです。既に消化による糖の生成が始まっており、食べると甘い味がします。
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4.醤油づくりの主役は微生物


  コウジは、水分と塩分を補給、調整されたうえで、数ヶ月から1年余りに及ぶ発酵過程に入ります。適量の塩は、長い発酵期間を通して雑菌の繁殖を抑え、いっぽう有用菌にとって住みよい環境を提供します。さて発酵過程においては、コウジ菌以外にもさまざまな微生物が活躍します。乳酸菌は、乳酸発酵と呼ばれる生化学反応によって糖類から乳酸を作り、醤油の酸味の中心成分を形成します。


醤油工場の発酵槽の中では、乳酸以外にも酢酸クエン酸ハク酸リンゴ酸など様々な有機酸が生み出されており、これらは全体として醤油に複雑でまろやかな酸味を与えます。またこれらの酸は、醤油の抗菌・防腐作用を支えています。


  乳酸発酵によって発酵液の酸度が増してくると、ほとんどの生物にとって生存不可能な厳しい環境が形成され、発酵液中の菌数は急激に減ってゆきます。乳酸菌自身も死滅します。こうして、自然の力で極めて衛生的な環境が形成されます。この条件下で、酵母という耐酸性耐塩性の微生物が活躍します。酵母は糖を体内に摂り込み、アルコールと二酸化炭素へと転化します。これがアルコール発酵(あるいは酵母発酵)です。この結果、発酵液内は著しい嫌気(酸欠)条件となり、雑菌類の生存はますます困難になります。さて、アルコールの一部は有機酸と結びついてエステルとなり、これらのアルコールやエステルが、醤油に華やかな香りを与えます。

  醤油の発酵熟成過程をたどってゆくと、二種の重要な酵母群に出会います。チゴサッカロマイセス(Zygosaccharomyces)属キャンディダ(Candida)属の酵母です。各々Z酵母C酵母と略称され、醤油醸造の中期過程、後期過程において活躍します。厳しい環境下で生きるこのような優秀な酵母を見出し、単離して大切に育てた先人たちの仕事は、日本の技術者の誇りと呼ぶにふさわしいものだと思います。

 タンパク分解によってコウジ中にアミノ酸が生まれますが、これらは、分解が進むにつれてしだいに液中に染み出して来ます。醤油に深みのあるうま味とこくを与えるのは、こうして生まれるグルタミン酸などのアミノ酸類です。ビタミン類もこのころ発酵液中で合成されます。アミノ酸は、還元糖などに含まれるカルボニル基(>C=O)と反応してシッフ塩基(-C=N-)などの発色団を持つ着色物質を生みます(アミノカルボニル反応)。醤油発酵液中において生じる代表的な着色物質は、メラノイジンと呼ばれるもので、赤みを帯びた褐色を呈します。
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5.発酵微生物の代謝経路

 このページの内容は少し専門的です。難しいと感じる方は飛ばして読んでください。

 乳酸菌が自分の生存をも脅かすような大量の乳酸を生み出すことや、酵母が非常に効率の良いアルコール発酵を行うというような事態は、高等学校や大学で教えられる生体内物質代謝の一般論と、どのような関係にあるのでしょうか。

 現代の生化学は、微生物だろうと人間だろうと、生物の代謝機構はほとんど共通であることを明らかにしています。まず解糖系と呼ばれる経路に沿って糖が分解され、ピルビン酸が合成されます。次いでアセチルコエンザイムA (アセチルCoA )が作られ、この物質から、クエン酸回路(あるいは三カルボン酸回路、TCA サイクル)と酸化的リン酸化とを経てアデノシン三リン酸ATP )が合成されます。この過程においてアミノ酸や脂肪酸が関与します。

  ATP は分子内に2 個の高エネルギーリン酸結合を持ち、大きな化学エネルギーを蓄えているので、このエネルギーを主として加水分解によって上手に解放することで、筋肉の運動、生体内情報の伝達、自己増殖など、生命活動全般が行われます。これが地球上で営まれる多くの生命現象に共通する化学過程です。

 乳酸菌や酵母も、この基本的な代謝経路を持っています。特に解糖系からピルビン酸合成までの経路はごく一般的なものです。しかし、乳酸菌においては、ピルビン酸を嫌気的に乳酸へと還元する脱水素酵素(乳酸デヒドロゲナーゼ)の働きが非常に活発です(酵素名とは裏腹に、実際の反応は脱水素の逆反応である還元です)。

 いっぽう酵母では、ピルビン酸を直接に還元するのでなく、まずピルビン酸デカルボキシラーゼ(脱炭酸酵素)の働きでアセトアルデヒドを生み、これをアルコールデヒドロゲナーゼ(脱水素酵素)の力で還元して(脱水素の逆反応)エタノールを合成します。酵母発酵の象徴とされる二酸化炭素の発生は、アセトアルデヒド合成の副産物として起こります。


 乳酸菌や酵母において盛んに進行するこれらの化学反応は、生体内ATP 合成の中心経路から見れば、一種の傍系反応なのですが、その反応効率が抜群によい。このため、どちらの場合も、肝心のTCA サイクルへと流れてゆく生成物が非常に乏しいのです。

 このような生物が存在することは、ある意味で驚きです。乳酸菌や酵母は、自分が活発に活動したり自分の子孫を増やしたりするためのエネルギーを生み出す代わりに、自分にとっては役に立たない膨大な量の乳酸やエタノールをせっせと合成して人間に奉仕しているかのように見えます。だから「有用菌」と呼ばれるのですが、このようなお人好しの微生物は、酸素呼吸を伴う活発なTCA サイクルを持つ普通の「利己的な」微生物と比べると、圧倒的に生命力が弱いのです。有用菌の飼育がたいへんな作業であり、醸造工業は常に雑菌の繁殖との闘い強いられてきたということは、生化学的にはこのような事情から来ているのです。

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6.発酵の管理


  宮島醤油は、6ヶ月から1年の発酵期間を経てつくられます。発酵が進むにつれて、発酵槽の中はどろどろの液状物質になります。これを諸味(もろみ)と呼びます。複雑でまろやかな味にふさわしい名前ですね。醤油工場ではこのかん、菌数及び、アミノ酸アルコールエステルなどの生成量が随時測定され、優れた品質の醤油をつくるためのきめ細かな管理が行われています。酵母発酵は酸素を必要としない化学反応なので、醤油醸造は基本的に嫌気(酸欠)環境で行われます。

  温度は発酵の経過に応じて変化させます。我国で良質の醤油がつくられてきた背景には、醤油づくりのサイクルと日本の四季の移ろいとがちょうどマッチしていた、という幸運な事情もありました。冬から春にかけて仕込めば、夏の高温で発酵が盛んに行われ、涼しくなる秋に熟成して出来上がり、という経過が、たくまずして理にかなった温度管理であった訳です。このように四季の移り変わりに任せて自然な環境で行う醤油づくりを天然醸造法と言い、現在も、伝統を大切にする一部の会社で行われています。宮島醤油は天然醸造法ではなく、温度管理を含む高度な発酵管理のもとでつくられています。
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7.製品化


  十分に発酵した諸味を絞って得た液体が、生揚(きあげ)と呼ばれる生の醤油です。諸味を絞る工程も、醤油の品質にとって大切です。フロシキのような布を一枚一枚折りたたんで諸味を包み、3日間かけてゆっくり圧力をかけることで、透明度の高い、赤褐色の美しい生揚を搾り出します。この工程は日本の伝統技術と呼ぶに相応しいものです。

  生揚の濃度を調整し、製品の種類に応じた味付けをし、殺菌、包装工程を経て醤油は製品化されます。加熱殺菌のさいに促進される化学反応によって、醤油の色は濃くなり、香りも増します。これを「火香(ひか)」と言って、醤油づくりの最終段階における重要な技術です。

  醤油の味には地域性が反映します。千葉県の野田や銚子に代表される関東地方の醤油がすっきりした辛口を特徴とするのに対して、宮島醤油は、魚料理を大切にする九州の人々の食習慣に合わせた、やや甘口の仕上がりとなっています。
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8.醤油の抗菌・防腐作用


  乳酸を始めとする各種有機酸によって醤油の水素イオン濃度は高く、つまりpHが低く抑えられており(pH 4.7くらい)醤油には、飽和食塩水よりはるかに優れた抗菌・防腐作用があります。酵母発酵で生じるアルコールも、抗菌・防腐作用に寄与しています。昔から、魚のみりん干しや野菜の醤油漬けが保存食として愛用されているのは、日本人の優れた知恵のひとつと言えるでしょう。また家庭でも、お刺身を冷蔵庫でひと晩保存する場合、少量の醤油に浸しておけば雑菌の繁殖が極端に抑えられ、魚の鮮度を保つことができます。
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9.丸大豆醤油とは


  醤油には脂肪分は余り含まれていません。ですから、原料大豆の持っている高濃度の脂質は、通常は不要だと考えられています。現代の食品産業では、植物資源の有効活用という観点で、大豆からまず脂質を搾り出して大豆油として活用したうえで、その残り(脱脂大豆)から醤油をつくるのが普通です。しかし、日本古来の醤油づくりにおいては、脂質を除かず、天然の大豆を丸ごと原料として使う方法が採られていました。こうしてつくられる醤油が「丸大豆醤油」です。コウジ菌の出す酵素では脂質を十分に分解できないため、この方法では、発酵の全過程において諸味液中に油分が共存します。このため、(少し贅沢ですが)アルコール発酵が促進され、やや香りの高い醤油ができる傾向があります。油分は最後の段階で除きます。

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