走らんか副社長
【中山道 西行】

74区 巣鴨~板橋

植物には、人から愛情を注がれて大切に育てられるものと、「雑草」という言葉で一括りにされて邪険に扱われるものとがある。さらにその雑草の中には、ことさら不当に低劣な名前を付けられた植物がある。そんなかわいそうな植物に少しだけでも関心を持とうと、これまでにワルナスビ(悪茄子)とヘクソカズラ(屁糞葛)について書いたが、今回はヤブガラシ(藪枯らし)だ。藪を覆って枯らすほどの繁殖力があるので付けられた名前で、これもけっしてほめられた名前ではないのだが、またの名をビンボウカズラ(貧乏葛)という。なぜ貧乏になったのかは貧乏葛本人が知る由もない。

この夏のランニングの課題として、この悪茄子・屁糞葛・貧乏葛の三種が揃った光景を見つけることを自らに課して、わき目も振らずではなく意識してわき目を振って走っていたのだが、二種が揃ったところどまりで目標達成は来夏以降に持ち越しとなった。

植込みの下部を貧乏葛が覆い、その間から悪茄子が伸びて花を咲かせている。

折れて水平になった笹に屁糞葛が絡みついて咲いている。

さて、中山道の旅は巣鴨から北へ向かう。とげぬき地蔵を過ぎても街道沿いにずっと続く商店街は、ちょうどお祭りの準備をしていていることもあって活気に満ちている。最近は大型店の集客力に負けて衰退している商店街も多いが、都会には広い駐車場を備えた大型店ができる余地がなかなかないだけに、昔からの個人経営の商店街がまだまだ元気なようだ。

JR板橋駅の近くに新選組近藤勇の墓がある。近藤は流山(千葉県)に潜んでいたところを拘束されて板橋に連行され、処刑されている。ここは新選組愛好家にとっては巡礼の地であり、そんな人が感想を記入するためのノートも備えてある。私はそれほどの興味があるわけではないが、この連載で(2012年10月特別編流山)近藤が潜んでいた場所も訪ねている。

処刑された後、首は京に送られ、胴体だけがここに埋葬されているという。ところで、首はどんな状態で京都までの遠路を運ばれたのかというと、焼酎に漬けて運ばれたらしい。なんとも残酷なことではあるが、アルコールに漬けて腐敗を防止するのは、生首の保存方法として合理的ではある。

なお、墓の脇にある新選組殉難者墓碑には、幕末に重要な役割を果たした唐津藩士の一人小笠原胖之助の名もある。


街道沿いに、縁を切りたい相手についてお願いすれば、無事に別れることができると伝えられている縁切榎(えのき)があって、榎の木陰になった狭い境内には多くの絵馬が奉納されている。興味本位でいくつかの絵馬を目にしたのだが、神様に願い事を正確に伝えるためには、すべてを具体的に書かなければならないと思われているらしく、自分の名前と縁を切りたい相手の名前がみなフルネームで(人によっては住所や職場名も)書いてある。あまりにも具体的でしかも深刻に思いつめた願い事に、他人の人生の影の部分を覗き見してしまった暗い気分を味わう。

願わくは、ここにお願いすることもお願いされることもない人生を歩みたいものだ。


日本橋から三里の地点にある志村の一里塚は、道の両側の塚とも残されている。石垣で囲ってあるので当時の姿とは違うのだろうが、残っているだけでも価値がある。街道沿いの多くの一里塚は消失してしまっているが、東京都内では30区で通過した日光御成街道の西ヶ原一里塚も街道両側の塚が保存されていた。江戸が東京になって都市開発が進んでも、江戸の痕跡を保存しておこうと動いた人々に感謝したい。

2017年9月

【参考】

  • 新選組を歩く 星亮一+戊辰戦争研究会編 光人社
  • 今回の走らんかスポット