私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

今まで通り、ご愛顧の程お願いします。

今回は、日本人なら毎日使っている“お箸”を取り上げてみました。どうぞ、よろしく。
 
 「この頃の子供は、お箸の持ち方も知らないですよね。」
 最近、“食育”のテーマのもと、こんな会話がよく聞かれる。はてな、私自身、いつ頃から箸が使えるようになったかな、と思い出そうとするがはっきりしない。多分、母から教えてもらっただろうが、気がついてみたら使っていた というのが実感である。
 こんな記憶をたどりながら、お箸のことを考えてみました。
 世界で最も古い箸は遠く遡って紀元前11世紀、中国は殷(イン)の時代の遺跡から、青銅の匙とともに出土している。これは食事用ではなく、神に捧げる食べ物を取り分けるための箸であると云われている。
 朝鮮半島では、紀元前700年頃の百済武寧王の陵から青銅の匙と箸が現れている。
 日本では、紀元前3世紀頃の遺跡からは食事用の道具として木の匙が発見されていたが、二本の箸としては、7世紀、奈良県の飛鳥板葺宮遺跡から桧の箸が出土している。これも、食事用の箸というよりも祭祀用だとの説が強いが、藤原京跡からは長さ・形状からみて、食事用と思われている箸が発見されている。
 また一方、文献による記録としては、古事記の須佐之男命の八俣(やまた)の大蛇(おろち)の一説がある。「高天原を追われた須佐之男命が、出雲国肥河(ひのかわ)の鳥髪に降りられた。この時、箸がこの川を流れ下ってきたので、命はこの川上に人が住んでいると思われ、尋ねて捜しいかれると、」おじいさん、おばあさんが少女を間において、泣きじゃくっていた。・・・と八俣の大蛇を退治する神話が始まる。
 もう一つは、日本書紀に「ヤマトヒノモモ姫の命が大物主(おおものぬし)命との悲恋のあまり、箸で女陰を突いて亡くなったので、姫のお墓を箸墓という」とある。
 いずれも奈良時代(8世紀)に書かれたものだから、神話の時代とは別に、古事記・日本書紀編集の時期では、箸を使っていたと考えるのが妥当だろう。
 いずれにしても、7〜8世紀の奈良時代、唐の律令制度の導入とともに食事の形式として箸が普及してきたものと推測される。
 続いて平安時代は、大陸文化を同化し、これを日常化しようとした時期である。宇津保物語、源氏物語等の文学作品や、庶民の生活を描いた絵巻物には箸を使うシーンが数多くみられ、大衆化したことが窺われる。
 さらに鎌倉・室町に入ると、栄西、道元によって広められた禅宗が武家社会に迎えられ、“食”も修行の一環として精進料理が普及、室町時代に入ると、茶の湯が芸道として完成されるに伴って懐石料理(会席)がおこり、いわゆる日本料理の形式が整ってくる。
 時代とともに日本料理が完成してくると、食事に際しての儀式礼法が重んじられ、各種の作法が残されている。
 例えば、道元は「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」の中で、
「ご飯をいただくとき、口を鉢の方に近づけてはいけない」
「匙や箸を使うとき音を立てたりしてはいけない」等々
さらに、江戸時代に入り、庶民の食生活も豊かになってくると、
「菜の菜・・・菜(おかず)を食べてすぐ、他の菜を食べること」
「膳ごし・・・膳の向こうにある料理を取ろうとして、膳を越えて箸で取ること」
等々、事細かく禁止事項が続いてくる。
以上、食事のマナーの一部を拾ってみたが、箸の取り方にもマナーがある。
 食事の席で、主人が「どうぞ」とすすめられる。主客が箸をとってから自らもとる。箸を上から右手でとり、左手を下から添える。右手で持ち直す。この三拍子が正式のマナーである。
 草柳大蔵氏は、「この三手で持つ動作をすると、食事の挨拶から料理にとりかかるまで一呼吸の“間”ができる。この間をつくった動作が美しい。」と述べられている。
 次に、箸の使い方の基本は、「二本の箸を動かすのではなく、下を固定し、上だけを動かすこと」。これが、伝統的な箸の使い方とされている。
 このような基本的動作の外に、箸を使うときの禁止事項、タブー(きらい箸という)がある。
 小学生の頃、食事しながら、母から「お箸でお皿をかき寄せたらダメ」ときつく注意された記憶が蘇ってきた。
 迷い箸、移り箸等数多くあるが、これらは私たちが守らねばならぬ、最小限のルールのようなものであろう。

箸のタブー「きらい箸」
種類 方法
迷い箸 どれをとろうかと迷う
移り箸 とりかけてほかのものに替える
探り箸 汁物などかきまぜて中身を探る
かき箸 茶碗の縁を口にあてがい箸でかきこむ
寄せ箸 箸で器を引き寄せる
刺し箸 箸で突き刺す
横箸 2本そろえてスプーンのようにすくう
涙箸 箸先から汁をたらす
込み箸 箸で口に押し込む
ねぶり箸 箸をなめる
叩き箸 器を叩く
握り端 拳で握る。攻撃の意味
本田総一郎『箸の本』柴田書店より
 楽しい食事が終わり、お開きになる。
 「ごちそう様でした」とお礼を申し上げる。さて、お世話になったお箸をどこに置こうかと迷うが、幸いに、今はほとんど箸袋が用意されているので、そっと汚れたお箸を入れる人が多い。
 ところが、マナーデザイナーの岩下宣子さんは「このお箸は使用済みですよ」とのサインを兼ねて、箸袋を千代結びにしておくか、あるいは、袋の先を折ってお箸を入れるとちょっとしたオシャレになりますよ、とアドバイスされている。
 食事のマナー、お箸の使い方の作法といっても、要は周囲の人たちに不快感を与えぬよう気配りをすることだろう。
 このためには、日頃から絶えず心がけておかねばならないだろう。
 上手に箸を持つようにするには、2〜3歳頃から箸に馴染ませ、子供の発育・興味に合わせて慣れさせることが大切。ちょうど5歳頃になると急に興味を持つ時があるので、そのような機会を逃さず指導してやるとすぐ覚えてしまうとのこと。食事の時は、食欲を満足させると同時に家族や大人が伝統的な持ち方をしておれば子供は素直に箸の使い方もマネをする。そんな中で、子供たちに“食”に対する理解や感謝の念を深く植え付け、自然な人間性を育んでいきたいものである。
 食生活は多様化する。
 和・洋・中華、そして、これらがミックスした料理、また食事のT.P.O. ― 会席料理、西洋料理のフルコース、立食のパーティー、日常の家族団欒の食事、友人たちとの楽しい会話の中の食事、インスタント食品、お弁当・・・等々、さまざまな形で“食”を楽しむことになるが、そのそれぞれで食事のエチケット、マナーがあって然るべきだろう。
 日本人は、巧みにお箸を操る。その中に日本人が育んだマナーがあることを理解しながら、多様化した食事形態にふさわしい新しいマナー、文化のようなものが培われていくことだろう。
 参考文献
 日本食生活史 / 渡辺 実 著(吉川弘文館)
 食文化入門 / 石毛直道・鄭 大聲 編(講談社)
 箸 / 向井由紀子・橋本慶子 著(法政大学出版局)
 食事・食卓の覚え書 / 草柳大蔵 著(グラフ社)
 箸を上手に / 岩本宣子著(日本経済新聞−日曜版 平成16年1月〜2月掲載)