私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
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 去る6月29日、外来語(カタカナ語)の言い換えを提案している国立国語研究所は、第3弾となる外来語33語の言い換え案を発表した。
 「コンプライアンス」「インフォームドコンセント」・・・等々、外来語(カタカナ語)が氾濫している現在だが、古来より日本は漢字という外来語を受け入れ、また、文明開化の時代には外国の文化とともに外来語を取り入れてきた。
 かつての日本は、外来語をどのように受け入れていったのか。食べ物の名前を中心にその歴史を繙いてみよう。
昭和初期の屋台の洋食屋
(一)レストランにて
 レストランに入る。料理を注文すると、
「ライスになさいますか?それともパンに?」
「御飯にしよう。」
「かしこまりました、ライスですね」と。
 御飯とライスの違いは、お茶碗か丼に盛ると御飯、お皿だとライスなのかと、自問自答する。
 家庭では、“牛乳を一杯”と云いながら、喫茶店ではミルクと洒落た表現になる。ビンか、紙パックに入ったのは牛乳、カップで出されると、ミルクに変身する。
 また、アパート、コーポ、レジデンス、メゾン、マンション等々、住居の呼称は時とともに眼まぐるしく変わっていく。アパートが数多く出現すると陳腐になり、マンションの方が新鮮で高級に映ってくる。そのうちマンションも、新しいネーミングにとって変わられるかも。
 どうも日本人はカタカナに弱い。
(二)日本語の成り立ち
 日本語のルーツを考えてみる。
 日本民族が誕生する頃には、和語(やまとことば)が使われていたことだろう。そして徐々に社会生活が向上し、国家が形成されようとした4世紀頃、中国から漢字、漢文が伝わってくる。そして、古事記、日本書紀にみられるように、万葉仮名を使い漢字を借りて、日本語を書き表すようになる。その後、平仮名、カタカナを創り出し、さらに自らの言葉(和語)で漢字を訓で読み、漢字・仮名交じりの文章で表現することにより、日本独自の文学、文化を育んできた。
 ところが、徳川末期から、明治維新以降、欧米の異質の文化が流れてくる。このため、外国語を翻訳したり、置き換えたりしながら、欧米の文化を一日もはやく吸収しようと努めた。
 現在、私たちが、日常何気なく使っている言葉は、この頃に創り出されたものが非常に多い。
 例えば、福澤諭吉は、Speech(スピーチ)を演説と訳したり、Freedom、Libertyが自由、経済、政治、文明 等々、枚挙にいとまがない。
 そして、これ等の言葉を自由に駆使しながら、いわゆる現代文を完成させた。その中心は夏目漱石、正岡子規の二大文豪と云われている。
(三)外来語
 明治時代に現代文が生まれて百有余年、世界的な情報化時代に突入する。今や、日本では、明治時代に勝るとも劣らぬ程の外来語が、滔々と流れ込んできている。
 特に、住居関係、ファッション、食品部門とうが多かったが、ここ数年コンピューター関係は、業界の専門用語がそのまま一般のユーザー、日常生活にそのまま使われ、初心者を戸惑わせている。これも、適当な日本語に翻訳する時間的余裕のないことと、適当な日本語が見出せぬためだろうか。
 このような外来語ブームに対応すべく、国立国語研究所は「外来語(カタガナ語)の言い換え」の提案をしているが、去る6月29日、第3弾となる外来語33語の言い換え案を発表している。
 その中に、オンライン、データベース、フォーラム、メセナの4語は言い換えを断念したことを明らかにしている。従って、この4語は、カタカナ語で“お墨つき”をもらったので、そのまま流通することになるだろう。
読売新聞 
2004/6/30掲載
(四)アンパン、トンカツは外来語?そして、カレーライスは?
 日本人は、漢字を受け入れ、仮名を使った日本語を大成させ、その他に“外来語”をうまく混合させているが、その傑作とも云えるものを紹介しよう。
 ひとつは、「アンパン」
 パンは、天文12年(1543)、種子島に漂着したポルトガル人が、鉄砲火薬とともに伝えたという。しかし、米食中心の日本では普及せず、漸く幕末になって兵糧食として評価されてから研究され、明治5年、海軍がパンを採用する。その後、和洋折衷の“おやつ”として菓子パンの開発に執念を燃やした木村安兵衞が、日本酒麹(こうじ)を活用した、「アンパン」の商品化に成功したことにより、文明開化の波に乗り一挙に普及、明治天皇の食卓にまでのぼる。
パンの広がり
 今日の数多い菓子パンの嚆矢(こうし:はじまり)である。
 考えてみると、パンはポルトガル語、アン(餡)は日本語。この両者は、少しの違和感もなく融合し、アンパンとしてすでに百年を越える生命を維持している。
 次に、トンカツ・カツ丼。
 トンカツと聞いただけで、あの分厚い豚肉をたっぷり油で揚げたトンカツを想像し、食欲をそそる。
 トンは豚、カツはカットレット(cut let)が詰まったカツレツのカツ。cut-letとは、「子牛、未などの薄い切身(それを揚げたもの)。」従って、直訳すれば、豚の薄い切身を揚げたもの、ということになる。
 明治以降、日本人が肉食を嗜むようになる。当初は、肉鍋やすき焼に親しむが、庶民は数多い西洋料理の中でカットレットに注目する。その後、紆余曲折、試行錯誤の末、昭和の初年、東京 上野で「トンカツ」が売り出され、日本の代表的な洋食に成長していく。
牛肉売り
『風俗画報』
316号より
 トンカツが生まれて、カツ丼のとともに約80年。トンカツと味噌汁、キャベツの細切り。さらにトンカツソースという形はすっかり定着している。
 以上、あらためて日本語と外国語の複合語はすっかり、私たち日本人の血となり肉になっている好例である。
 もうひとつ、すっかり日本食となってしまった和洋折衷料理の逸品にライスカレーがある。ライスカレーが登場したのは、明治20年頃といわれ、日本郵船の食堂で、福神漬けを添えて出したら好評で、爾来、今日まで続いている。
 ところで、ライスカレーとカレーライスはどう異なるのか、とクイズもどきに問われると、どう答える?
 どうも、明治の初期、カレーとご飯を別々の器に盛っていたときは、「ライスカレー」だったのが、明治の後期になって、ご飯の上にカレーをかける日本独特の様式になるが、その頃の料理の本に「カレーライス」と紹介されて以来、「カレーライス」という呼び名も登場してくる。
 従って、明治期は「ライスカレー」、大正以降は「カレーライス」ということになるが、厳密に使い分けることもないだろう。
 因みに、英語では「カレー アンド ライス(curry and rice)または、「カレード ライス(curried rice)」という。
(五)今からの外来語は
 言葉は“生きもの”、生活とともに変化をしていく。ある面では、日本人の生活面の反映である。
 古来、日本人が数千年にわたり熟成してきた言葉を尊重しながら自然体で外国語に接し、十分な言語意識を養って、あるいは取捨選択をしつつ、美しい日本語を育てていきたいものである。
 参考文献
「食の変遷から日本の歴史を読む方法」武光 誠 著/河出書房新社
「とんかつの誕生」岡田 哲 著/講談社
「ことば」シリーズ4 外来語/文化庁
「ことば」シリーズ8 和語漢語/文化庁
「ことば」シリーズ16 漢字/文化庁