私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

 今年になって、景気は少しずつ回復するのだろうとの期待を裏切り、ライブドア、耐震偽装等々、非道徳的な事件が続発する。溢れるようなマスメディアの報道を耳にしながら、究極は、倫理観の欠如に帰するのではないだろうか。資本主義勃興期の先覚者たちは、どんなことを考えていたのだろうか。その倫理観をたどってみた。
(一)自由主義経済の始祖 アダム・スミス
 “国富論”を著わしたスミスは、経済学者である前に、道徳学者であった。
Adam Smith
(1723-1790)
イギリスの哲学者
・経済学者。
経済社会の解明に努め、古典派経済学の始祖となる。
 彼は、“道徳感情論”で「人間はどんな利己的なものを想定しても、・・・」社会的秩序を支えるものは、行爲者それぞれの立場にわが身をおいて考える情動 ― 同感(Sympathy)であると説く。わかりやすく云えば、公平な立場に立っての自己抑制、ひいては良心、コモンセンスへとつながる。
 このような道徳的基盤に立つ市民社会を前提として、お互いにフェアで自由な競争をすれば、「神の見えざる手」により、経済の自然秩序が生まれる。
 こうして、スミスの自由主義経済の理論は、道徳的な基本から構築されているが故に以来230年、その著書が今なお不朽の名作として読み継がれているのだろう。
(二)日本経済の父 澁沢栄一 右手に算盤 左手に論語
 子曰ク「富ト貴キハ、コレ人ノ欲スル所ナリ、ソノ道ヲ以テコレヲ得ザレバ、処(オ)ラザルナリ」 論語、里仁第四。
澁沢 栄一
(1840-1931)
近代日本
資本主義の父
と呼ばれる実業家。
 今を去ること2500年、聖賢孔子といえども、富と貴への欲望を否定はしなかった。しかし、道をはずれたことをして、富貴を得たのであれば安閑とはしておれないよ、と戒める。
 日本経済の指導者、澁沢栄一は、その「論語講義」で、この一節を次のように解説する。
 「算盤をとって富を図るのは決して悪しきことではない。余は明治6年、官を辞して民に下り、実業に従事して50年、毫もこの信念を離れずに、あたかもマホメットが片手に剣、片手に経文を振って世界に臨んだごとく、片手に論語、片手に算盤を振って今日に及んだのである。」と
 和魂洋才、その意気たるや壯。
(三)マックス・ウェーバーと石田梅岩 信仰と商人道
 マックス・ウェーバーはその著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、プロテスタントは職業を"天職"と信じ精励し、その宗教的禁欲生活が資本主義の発展を促したことを解明する。
 また、日本では江戸時代中期、石田梅岩は、武士には武士道があるように、商人にも商人道がある、職業倫理 ― 正直、倹約、分限を守れ、目先の利益を追うべからずと教える。
       
Max Weber
(1864-1920)
石田 梅岩
(1685-1744)
社会学黎明期の
主要人物。
江戸時代の思想家。
石門心学の開祖。
 古今東西、先達の教訓に耳を傾けるとき、その思想の根底には道徳的な良心が流れている。今回の事件はあまりにも「資本の論理」にのみ偏りすぎ、一般市民の同感は得られまい。今や「市民の情操、論理」を加えた新しい「資本主義の倫理」を確立せねば、日本の前途は危ない。
参考文献
「国富論」  アダム・スミス 著  杉山忠平 訳  岩波文庫
「アダム・スミス」  高島善哉 著  岩波新書
「道徳感情論」  アダム・スミス 著  水田 洋 訳  岩波文庫
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
     マックス・ウェーバー 著  大塚久雄 訳  岩波文庫
「勤勉の哲学」  山本七平 著  PHP文庫
「経済思想」  八木紀一郎 著  日経文庫