私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

夕食後のひととき、
ぼんやりとテレビ歌謡ショウを眺めていた。
一瞬、ステージは静かになり、
“川の流れのように”のメロディーが流れる。
川の流れのように
(一)川の流れのように・・・美空ひばり
 
   知らず知らず歩いてきた
   細く長いこの道
      ・・・・・・
   ああ川の流れのように とめどなく
   空が黄昏に染まるだけ
      ・・・・・・
引用「川の流れのように」
(歌手:美空ひばり 作詞:秋元康 作曲:見岳章)
 
 今は亡き、美空ひばりの絶唱は心に残る。
 今晩は、「千の風になって」の秋川雅史氏が歌う。落ち着いた雰囲気は、八十路を前にした後期高齢者の胸を打つ。
 しばらく耳を傾けていると、鴨長明の「方丈記」の書き出しが浮かんできた。
(二)河の流れは絶えずして・・・鴨長明「方丈記」
 
 「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」
 
(註)鴨長明(かものちょうめい)・・・(1155 頃-1216) 鎌倉初期の歌人・随筆作者。下鴨神社の禰宜(ねぎ)長継の次男。俗名、長明(ながあきら)。法名、蓮胤。和歌を俊恵に学び、和歌所寄人となる。父祖の務めた河合社(かわいしや)の神官を望んでかなわず、五〇歳頃出家。著「方丈記」「無名抄」「発心集」など。(大辞林より)
 
 名作「方丈記」は、この名文によってはじまる。
 人の世の生々流転を川の流れに比喩する情感は、方丈記以来、800年余、美空ひばりまで、引きつがれていく。
 古来、中国では、すでに、
 「川の水は、流動変化してやまず、ひとたび流れ去ったら、再び帰らぬ。それとともにまた、住む人は変わっていくが人間はなお変わらず、存在していく」 と川の流れは人間社会を象徴するものとして、とりあげられていた。
 さらに佛典の無常観が加わり、方丈記の冒頭の一節が生まれる。
 川の流れを遡ること、紀元前数百年、孔子は川のほとりに佇みこう語る。
(三)逝くものは斯くの如きか・・・論語
 
 「子、川の上(ほとり)に在(い)まして、曰わく、
 逝(ゆ)くものは斯(か)くの如きか、
 昼夜を舎(や)めず」
  先生が、川のほとりでいわれた。「すぎゆくものは、この(流れの)ようであろうか。昼も夜も休まない」
 
 いわゆる「川上(せんじょう)の嘆」として有名である。倫理訓の多い論語の中で、唯一、暗示的、情感溢れる一節で、古くからいろいろに解釈されている。
 人間は川の流れのように、どんどん歳をとってくことを嘆いたと解する説、または、孔子が川のほとりで、不遇の中に年を老いていく自らを嘆いたという解釈等が、素直なうけとり方なのだろうか。
 一方、歳月は川の流れのように、一刻もとどまらず流れる。一寸の光陰も軽んずべからず・・・学を志すもの一刻も怠らず刻苦勉励せよと、人生の積極的な態度をとれと解する。
 朱子の「論語集注」をはじめとして、今日でも渋沢栄一、陳舜臣 等、数多くの人が論じている。
(四)川の流れ
 川の流れのように・・・・・・河の流れは絶えずして・・・・・・逝く者は斯くの如きか、とたどってきた。
 川のほとりで沈思黙考すれば、人さまざまな感慨もあろうが、水の流れに、永久の時の推移を認めて、思索を深める。
 
 この拙文をしたためる今、洞爺湖サミットでは、地球温暖化の危機を叫びつづける。
 北極海の流氷はふえ続ける。
 果たして、“川の流れ”はおだやかに流れつづけるのだろうか。
 川の流れに、感傷に耽っていてよいのだろうか。
参考文献
鑑賞日本古典文学第18巻 方丈記 冨倉徳次郎 貴志正道 編 角川書店刊
世界の名著3 孔子 孟子 貝塚茂樹 著 中央公論社
孔子 金谷治 講談社学術文庫
論語抄 陳舜臣 中央公論新社
論語講義(四) 渋沢栄一 講談社学術文庫