私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

 あけましておめでとうございます。
 今年も会長コラム、お引き立てのほどよろしくお願いいたします。
 今年はトラ(寅)年ですね。
 トラに因んで、思い出すままに・・・
 
寅年に想う
寅の置物
(一)12支の中の寅と虎
 今年は寅年です。子、丑、寅、卯・・・と12支の3番目の年です。この寅の字は、インと読み、「両手で矢すじを真直ぐに直して、のばしているさま」を意味する象形文字で、方位としては東から30度北に寄った方向、時刻では午前4時にあたります。
 中国では、数千年前から、この寅を、猛獣の虎と読みかえており、私たちも今は、寅も虎も、何の抵抗もなく“トラ”といっています。
 その虎は12支の中では龍(辰)と並んで最も強い動物でしょう。しかし、龍は架空の動物ですから、現実には、虎は最も強い動物と言えます。
 キバをむき出し、尻尾をふりまわし、獲物を狙う虎は、猛獣、威風あたりを払う王者の風格十分です。
(二)虎とライオン、いずれが強いか
 阪神タイガース 対 西武ライオンズ、ではありません。実際に、虎と獅子が争ったら・・・、真剣にやりあったら・・・と考えると身の毛がよ立ちます。
 ところが、不思議なことに、虎とライオンは同じ地域には棲息していませんので、両雄の対決はありえません。
 虎は、シベリア南部、中国東北部からインドにかけての大陸部およびスマトラ、ジャワの島々、朝鮮半島に。一方、ライオンは、アフリカ、ヨーロッパと中国から西の方に住んでいます。中国の人は虎がライオンを追い出したのだから、ライオンより虎が強い、と主張するそうですが、動物学上はどうなのでしょう。中国の人は、虎は「百獣の長」と称しています。  
(三)虎にまつわる諺、故事
 虎とライオンは、いずれも猫科で、勇猛で強いのですが、どこか異なっているようです。虎は神経質で孤独、ひとり悠々としながら、事あれば獰猛、ライオンはどちらかと言えば陽性、常に群れをなして行動しています。
 このためかどうか、虎はなかなかいい配偶者が見つからず、繁殖力が弱く、子どもが少ない。“少子化”なのです。だから愛児性が強く、“虎の児”として大切に育てます。それが、いつの間にか、人様(ひとさま)も、大切なものを虎の児と呼んでいます。“虎の児の一万札”は大切に使いましょう。
 このように虎にまつわる、中国に由来する言葉、諺はたくさんあります。
 
 虎穴に入らずんば虎児を得ず
 虎の尾を履む心地
 虎口を脱す
 騎虎の勢
 虎は死して皮を留む、人は死して名を残す
 虎を描きて狗(いぬ)に類す(豪傑風な行動をとって、かえって軽薄になる)
 虎は千里を走り千里をもどる(千里を走っても、必ず子どものいるところへもどってくる。子どもへの愛情を表わす)等々。
(四)虎の威を借る狐
 中国は戦国時代(BC403~201年)のこと、楚という国の宣王が群臣に向って、
 「北方の国では、わが国の宰相昭奚恤を恐れているかな」と相談したとき、江乙という人が、こう答えたといいます。
 
 トラがキツネを捕えて喰おうとすると、キツネが「おれは天帝から“百獣の長”に任ぜられたのだから、おれを喰うと、天帝から咎めを受けるぞ。うそだと思ったら、おれといっしょに歩いてみよう・・・」と言う。
 トラがキツネの後からついていくと、キツネが言う通り、どの動物もどの動物も、いっせいに飛んで逃げ出した。トラは、なるほどと思ったそうです。
 王様、この話のように、北の国々は、ひとりの宰相など問題にはしませんが、その背後にある楚の国の軍を恐れて、攻め込んだりはしませんよ。
 
 “虎の威を借る狐”の語源となった、中国版イソップ物語です。
 少々間抜けなトラへの嘲笑、小賢しいキツネへの批判など、いろいろの解釈の仕方がありますが、皆さんはどう考えられますか。  
 いずれにしろ、古今東西、虎の力、影響力に頼って威張ったり、利を図ろうとする人々への教訓のひとつとして、今なお、語り継がれる名諺でしょう。
(五)千人針と寅年
 一.(出陣)
    天に代りて不義を討つ ♪♪
    忠勇無双の我兵は
    歓呼の声に送られて・・・・・・
                   軍歌 日本陸軍
 
 昭和12年7月7日、盧溝橋で日本と中国の軍隊が衝突、日中戦争(当時は支那事変と称していた)がはじまりました。当時、私は小学校1年生。戦争が拡大するにつれて、唐津の街からも出征される兵隊さんがふえ、唐津駅で、この軍歌をうたいながら、小旗を振り、励まし、送ったものです。
 この兵隊さんたちには、戦勝と無事を祈って親しい人たちが署名入りの日章旗と千人針を贈り、それをお腹に巻いておられました。千人針は、御婦人の1人、1針で、1,000針の縫玉を作ります。なぜか、「寅年生まれの人は、自分の年齢だけの針数を縫ってよいのだよ」と聞かされたことが、今なお耳朶に残っています。これは、虎は強いからかなあと、不思議に思ったり、この頃から、ネ、ウシ、トラ、ウ、タツ・・・と年毎の12支に興味を覚えはじめたような記憶が蘇ってきます。
 日中戦争から、昭和16年の第2次世界大戦へ、いよいよ、たけなわとなってくると、千人針を縫う余裕もなくなったようです。
 今、想い返すと、出征された方々の御家族の心中を察するとき、心痛むものがあります。
 そして、何か虚しいものがただよってくるのを禁じえません。
 
 因みに千人針を繙くと、
 「一片の布に千人の女が糸で一針ずつ縫って、千個の縫玉をつくり、出征兵士の武運長久、安泰を祈願して贈ったもの。
 初めは『虎は千里を走って千里をもどる』の言い伝えから、寅年生まれの女千人の手になったものという。」(広辞苑より)
 
 寅年、戦時中の千人針から70年後の現在、日米間によこたわる基地問題はなお解決せず新しい年へ持ち越される。
 戦争はまだ終わっていないのでしょうか。
参考文献
動物物語故事 實吉達郎 著 河出書房
十二支の民俗誌 佐藤健一郎、田村善次郎 著 八坂書房
中国故事物語 後藤基巳、駒田信二、常石茂 著 河出書房新書
中国名言物語 寺尾善雄 著 河出書房新社