私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 会長コラムへようこそ。

 わが国は多事多難、難問山積。
 危急存亡の秋(とき)です。
 その中にあって、胡散(うさん)臭い事件がある。いわゆる小沢一郎率いる「陸山会」の事件である。
 
陸山会事件に想う
「渇シテモ盗泉ノ水ヲ飲マズ」に習え
(一)陸山会事件の経緯
 以下、判決文を改めて読み返してみた。
 4月26日、マスコミは、「東京地裁が政治資金規正法違反(虚偽記入)に問われていた小沢一郎元民主党代表に対し、無罪の判決を言い渡した」と報じている。
 
 その後、民主党は5月5日の小沢氏の“党員資格停止”解除を決めるが、その翌日の5月6日、東京第5検察審査会は、この判決を不満として、控訴した。このことにより、無罪は決定せず、東京高裁の判決まで持ち越されることになる。
 
(二)陸山会事件、東京地裁の判決抜粋
〈主文〉 被告人は無罪
 
〈起訴議決の有効性〉
 東京地検の陸山会の元事務担当者、石川知裕を取り調べる中に、事実に反する捜査報告書が検察審査会に提出されているが、手続そのものには瑕疵はなく、起訴議決は無効ではない。
 
〈客観的な事実関係〉
 陸山会で秘書の寮を経てるための土地購入の計画が持ち上がった。(2000年9月頃)元陸山会会計責任者大久保隆規は、元代表の了解のもと、交渉を始めた。
(1)小沢代表は、その資金として現金4億円を石川被告に渡した。
(2)石川被告は、これを分散して、陸山会の口座に入金する。
(3)10月29日に、土地代金を支払うが、所有権移転は仮登記。本登記は翌05年1月とする合意書を取り交わした。
(4)石川は銀行から陸山会名義の預金4億円を担保として、小沢元代表名義で4億円の融資をうける。
(5)04年の陸山会の収支報告書には、4億円は記載されていない。銀行からの4億円が記載されている。
(6)土地の取得費と取得費の支出は04年度の収支には計上されず、05年に計上された。
 
〈複雑な取引の目的〉
 石川被告は、以上に述べたように小沢元代表から受け取った4億円をそのまま土地購入代金にあてることなく、分散入金するなど、複雑な取引をしている。
 池田、石川両被告は4億円は「簿外で借りた金」と言ったり、「土地の取得原資は銀行から調達した4億円である」と対外的な説明をしたり、等々。
 これらは政治資金規正法の精神にそぐわない。
 
〈土地取得と取得費支出の計上時期〉
 土地取得と取得費支出の収支報告書は04年に報告すべきものが、05年に計上してあり、あきらかに虚偽記入である。
 小沢元代表から石川被告に渡された4億円は陸山会の小沢元代表からの借入金収入とすべきである。収支報告書には、銀行からの4億円だけが計上されており、虚偽記入である。
 
 以上のような、事実関係、石川、池田両被告の政治資金規正法違反を説明した後、小沢被告人が、この資金の流れにどう関与し、どう認識していたか、さらに、故意あるいは、小沢元代表と石川、池田両被告の間に共謀の事実があったのかについて、詳細に考察してある。
 その結語として、
 「4億円の簿外処理、土地売買の公表先送りが違法であることの根拠となる具体的事情について、小沢元代表が認識していなかった可能性がある。
 ・・・・・・・
 小沢元代表の故意及び実行犯との間の共謀について、証明が十分でないから無罪である。」
 
(三)陸山会事件 判決を読んで
 以上、この判決文を一市民として読み終え、自らの拙い考え方と市民感情を整理してみる。
 
(1)検察審査会の起訴議決は、難しい訴訟理論は別として有効であることを素直に認めたい。
(2)陸山会の寮建設資金の4億円の性質は何だったのだろう。小沢個人の預金から、銀行の融資からと、何故複雑に操作したり、収支報告の期日が意図的に計上されたりと、判決文に「政治資金規正法の精神にそぐわない」ことをしたのだろうか。あらためて「政治とカネ」の問題は、ますます疑わしくなる。
(3)また、秘書、元事務担当者の2人と小沢元代表との関係については、4億円という高額の現金を上司と相談もせず、自由に動かせるという事は、一般社会の常識として、およそ考えられない。
(4)この度の東京地裁の判決の有罪、無罪の「共謀共同正犯としての故意」云々よりも、国民の感情としては、国会議員として、自ら立法して決めた「政治資金規正法」に自ら違反するとは、何のための法律だったのだろう。しかも今後その防止のための措置対策は、当事者からは何の発言も聞かれない。
 
(四)中国の故事に習う
 このコラムを書いていると、突然、昭和20年、唐津中学4年、漢文の授業を思い起こした。
 戦争直後の授業は、占領軍の指令により、教育方針は大きく変化し、少しでも政治色があれば、禁止されていた。漢文も御多聞に漏れず、制約されていたので、無難な成句、故事成語を習っていた。
 その中に、今も脳裡に残る二句が蘇ってきた。
 
 「渇しても盗泉の水を飲まず」
 いくら咽喉が乾いても盗泉の水は飲まない、ということから、「たとえどのように困窮していても、不正なことには手は出さない。不正なものは受け取らない」という意味である。
 もう少し、深く調べると、盗泉とは、魯の卞城の東北に湧き出る泉で、湧水は洙水に注ぐ、と言われている。
 この盗泉の水の四字熟語の出典は、秦から漢の時代の、尸子(しし)、淮南子(えなんじ)、塩鉄論であるとのこと。
 最も古い「尸子」には、尸子曰く、「孔子、勝母(土地の名前)に至り(母に勝つ、不孝だから)、暮れて宿らず、盗泉を過ぐ。渇しても飲まず、その名を悪めばなり」と出ている。
 その言わんとするところは、(単なる)名称という程度でも忌避するという極度の潔癖、清廉を述べている。いかなる逆境にありても、不義を犯さぬとの喩。
 
 「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず、李下(りか)に冠を正さず」
 君子たる者は、事の未だ起こらない前に、その起こるべき弊害を防ぐ。
 だから、瓜畑のなかでは靴をはかない。(瓜を盗むと見られてはいけないから)
 李(すもも)の木の下では、手をあげて冠を正さない。(李を盗むという嫌疑がかかるから)
(古学府、君子行)
 
 以上、聖人、君子を語った成句ふたつ。このような清潔さを日本をリードする政治にかかわった人々に、求めるのは酷なのだろう。
 しかし、せめて、公明正大、不偏不党を念頭に置き、先憂後楽「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という気概を持って、国民を指導してもらいたい」ものである。
 5月30日に、野田・小沢会談。そのまま6月に入っている。
 「泰山鳴動して、鼠一匹」・・・、前触れだけ大きく、実際は小さい結果に終わらぬよう期待している。
参考文献:
「四字熟語の中国史」  冨谷至 著  岩波新書
「中国古典名言辞典」  諸橋轍次 著  講談社学芸文庫
「四字熟語」  島森哲男 著  講談社現代新書