私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 でんじろうコラムへようこそ。
 
 いよいよ集団的自衛権の論争たけなわ、齢、八十路の半ばにさしかかり、静かに生い立ちの頃の日本はどんなだったのだろうと筆をとりました。
 私は昭和5年1月16日出生。父宮島傳兵衞、母スナ。9人兄弟姉妹のちょうど5番目の真ん中という環境、その賑やかだったこと、皆さんのご想像におまかせします。
 最近になって、自分の生まれたころの日本の社会はどんなだったろうか・・・と思い浮かべる。
 
 
一 15年戦争
 戦後ある時期から昭和史をまとめるのに「昭和6年の満州事変から昭和20年8月の第二次世界大戦の終戦までの15年間」を15年戦争と呼ぶようになった。
 となると、昭和5年生まれの私は、この戦争の直前に生まれ、戦争の中で育ち、15歳のとき敗戦を体験したことになるのだと肯く。
二 昭和に入ってから
(1)昭和元年
 大正天皇は大正15年12月23日に逝去されたので、わずか8日、従って、昭和は実質的には2年から始まっている。
 少し丁寧に年表をたどってみると、第一次世界大戦、関東大震災はあったものの大正デモクラシーと言われた大正が終わり、昭和2年からは不思議にも生々しい動きが起こっている。
 
(2)昭和2年
 3月14日 参議院予算員会で片岡蔵相「東京渡辺銀行破綻」と失言(金融恐慌のきっかけ)、金融界をはじめ、日本国中、大騒ぎになる。
 3月15日 東京渡辺銀行及び姉妹銀行のあかぢ貯蓄銀行休業
 4月18日 台湾銀行休業
 4月22日 政府3週間モラトリアム実施(緊急勅会)
 このような金融恐慌とともに、
 4月19日、政府、山東出兵を声明、第1次山東出兵(満州華北の日本居留民を守るためと称して)、日本の中国侵略の布石となる。
 昭和はまさに恐慌と侵略にはじまる。
 
(3)昭和3年
 3月15日 日本共産党関係者の一斉検挙
 4月20日 第2次山東出兵
 5月9日 第3次山東出兵
 6月4日 張作霖を爆殺、犯人は蒋介石の北伐軍の便衣隊と発表(関東軍河本参謀)
 この張作霖爆殺事件はその後の日中関係を予見するような事件である。
 
(4)昭和4年
 7月29日 濱口内閣、緊急実行予算を発表
 10月24日 ニューヨークの株価大暴落(世界恐慌はじまる)
 11月21日 金解禁の大蔵省令公布
 
(5)昭和5年
 1月11日 金解禁実施(私が生まれる5日前のこと)
 1月21日 ロンドン海軍軍縮会議開催
 
 私が生まれた昭和5年前後は、世界恐慌の大波が日本にも押し寄せてくる。当時の日本の経済の基盤はいまだ、脆弱であった。世界の各国はすでに金本位制をとっていた。世界の風潮に押され、日本が「金本位制」を実施すれば、すなわち通貨と金の兌換を自由にすれば、自由に輸出入でき、日本の商品は、その競争にさらされ、皆減するのは明らかだった。
 たまたま、アメリカ、ニューヨークの株価が大暴落した後に、金解禁が重なり、日本の金融関係は混乱した上に、豊作により米価は暴落、糸の価格も下落、いわゆる昭和恐慌、不況は慢性化する一方、独占資本が形成されていくことになる。
 
(6)昭和6年
 9月18日 満州事変勃発、関東軍は自らの手で奉天の地方、柳条湖付近の満鉄線路を爆破しながら、これを口実に中国軍を攻撃する。
 
 この行動に対して、日本政府は「不拡大方針」を決めたが、朝鮮軍司令官は9月21日過ぎ、独断で、鉄路、中国へ越境する。これは「明らかに統帥権を干犯する」ものなのであるが、政府は厳格な不拡大方針をとろうとしなかった。すでに昭和7年には関東軍は満州全体を占拠し既成事実を作っていく。、この満州事変をきっかけに陸軍が軍事政治全般にわたり主導的立場をとることになる。
 11月23日 高橋是清蔵相就任(高橋財政)、閣識にて金輸出再禁止決定(金本位制離脱、その他に失業対策のための土木事業、農民のために低金利融資して購買力を高める一方、膨張する国家財政のため、日銀に引受けさせる赤字公債を発行する。当然インフレになるが、昭和11年頃には次第に経済は復興していく。)
 
(7)昭和7年
 2月9日 血盟団員、井上準之助元蔵相を射殺
 5月15日 海軍青年将校、犬養毅首相射殺(5・15事件)
 9月15日 日本政府、満州国を承認(日満議定書調印)
 10月2日  リットン調査団報告書公表
 
(8)昭和8年
 2月20日 小林多喜二、検挙され虐殺される。
 3月28日 日本、国際連盟を脱退
 5月25日 京大滝川教授に休職を発令
 6月10日 共産党幹部、佐野、鍋島等獄中で転向表明
 この時期には、日本は国際的に孤立し、国内の思想弾圧(共産党その他反対勢力)が進む。その一方では、右翼の勢力も極大化し、いわゆるファッショ化していく。
 
(9)昭和9年
 1月29日 日本製鉄株式会社創立(製鉄大合同)
 4月11日 三菱電工業株式会社設立等々、財閥系会社が発展する。
 4月18日 帝人事件で大蔵次官起訴され経済界混乱
 8月~9月 東北農産物冷害
 12月29日 政府ワシントン海軍軍縮条約破棄通告
 
(10)昭和10年
 2月19日  美濃部達吉の天皇機関説問題化する。
 6月10日~12月  国民政府河北省からの国民党機関・軍隊の撤退を承認する(梅津・何応欽協定)
 昭和に入り、10年までの年表から、日本の風潮を考えてみると、ひとつひとつの事件には、それぞれの意味があるものの、決定的な処理ができぬまま、事態がいわゆるファシズム的方向に流れる。昭和11年2月26日(2・26事件)という悪夢をみた後に、昭和12年7月7日の日中戦争へと突入していった。
 恐らく今の日本人の一人ひとりに昭和10年までの歴史を聞かせると“何てバカなことをしたのだろう”と言うだろう。
 しかし、われわれは、それが15年間の長い間に徐々に積み重さなったのだと、冷静に再認識せねばならない。
 集団的自衛権の論議を聞きながら、昭和ヒトケタの一人としての独り言だと思わずに15年戦争の顛末を綴ってみた。
参考文献
「父が子に語る日本史」 保坂正康 著 ふたばらいふ新書
「満州事変から日中全面戦争へ」 伊香俊哉 著 吉川弘文館
「日本の歴史24 ファシズムへの道」 大内力 著 中央公論社
「昭和の歴史4 15年戦争の開幕」 江口圭一 著 小学館