走らんか副社長
【日光街道 北行】

7区 杉戸~栗橋

暑さは大歓迎とばかりに、街道沿いの民家で旺盛に育ったサボテンである。葉のような、ぞうりのような茎?からにょきにょきと生えているのは花が咲いたあとなのだろうか。メキシコあたりの灼熱の荒野に立つサボテンを想像しながら残暑を楽しもう。

暑くても走る、と宣言しているものの、「今日の予想最高気温は36度です。屋外での激しい運動は避けましょう。」とお天気おねえさんに言われると、さすがに意欲をそがれていたが、急に涼しくなった8月下旬の週末、東武日光線杉戸高野台駅から出発する。


さて、しばらく行くと幸手(さって)宿に入る。最近修復されたらしい古い建物が街道沿いにあって、案内板を見ると岸本家という醤油屋さんの跡だった。古くから醤油を醸造しパリ万博に出品したりもしていたが、関東大震災で被災して廃業したとのこと。

残った建物が国の有形文化財に登録されて、歴史ある街並みを残そうという市全体の取組みの中心になっている。よく見ると屋根のつくりが複雑で、いくつかの様式が組み合わされているのがおもしろい。


国道4号をいったん離れ、歩道のない危険な道をしばらく歩いて権現堂堤の遊歩道に入る。ここは利根川の分流だった権現堂川の堤防で、桜並木というより桜のトンネルが1kmほど続く。満開の時期にはさぞ見事なことだろう。

土手の下は畑で、ここは春になると菜の花畑が拡がってこれまた素晴らしい光景らしい。それ以外にも季節ごとにあじさい、彼岸花、水仙が咲く名所ということで、茶店にはそれぞれの季節の美しい写真が貼ってあるのだが、真夏の今はアブラゼミの声が響くだけで、見事に何もない。

See you again というメッセージを見てここを出つつ、もう少し良い時期に来るべきだったな、と思うが、そんな季節にはたいへんな混雑になるのだろう。


のんびり走っていたら、いつのまにか国境を越えて外国に来てしまったらしい。住所が外国・・・・・・府・・・間・・・?難読地名で、そとごうま、と読むそうだ。かつてここに国府があって地域の中心だったのだろうか、そうとは思えないのだが。

では、どんな土地のどんな風景の中を走っているかといえば、右側の土手上が国道4号線、左側は民家という狭い道を延々と進んでいる。車も通れる道なのだが、3kmほどの間で車にも歩行者にもほとんど遭遇しなかった。

見どころのない道だが、同伴者はたびたび立ち止まって、からすうりの実がなっているぞ、花も咲いているぞとか、民家のゴーヤや、なすや、かぼちゃや、おくらが良く育っているなぁ、と観察していた。


やがて東北新幹線と交差する。宇都宮から東京に向かう列車であれば、利根川を渡り、左手にボーリング場の大きな建物が見える地点の田園地帯だ。

新幹線ガードをくぐり、土手沿いの道路から離れると栗橋の町に入る。町の入口でまず目につく建物は、何というか、携帯電話につける飾りはストラップだが、それに似た名前の劇場だ。今どきこういうものがこういう所にあるのだ、と感心?する。


焙烙地蔵という祠がある。焙烙(ほうろく)とは、今はほとんど見ないが、ごまを炒ったりする素焼の鉢のこと。この先にある利根川の関所を抜けようとした罪人を、この場所で焼いて処刑した跡だ。今でいう不法入国だが、焙烙を使ったのかどうか、なにも焼き殺さなくてもいいと思うのだが。


久喜市栗橋地区は、東日本大震災において千葉県浦安市などとともに土地の液状化の被害を受けたところだ。今回、液状化の被災地こそ通らなかったが、道中、瓦が落ちたまま修復できていない民家はそこかしこに見られる。

栗橋の市街地に入ったところで、電信柱に昭和22年のカスリーン台風ではここまで浸水した、という標識を見つける。この後到達した栗橋駅の改札前にも、カスリーン台風の被害の状況が展示してあった。過去において、堤防が決壊してこの地が水害に遭った事実を自治体は市民に伝え、対策を実施していたにもかかわらず、今回はまったく予期していなかった液状化という被害に遭遇してしまったことに、人知の無力を思う。


JR宇都宮線、東武日光線の栗橋駅に到着する。せめてもの涼感に、と、畑にいたちょっと季節外れのあまがえるを載せて、また次回。

2011年9月

今回の走らんかスポット