走らんか副社長
【醤油の産地へ 北行】

44区 南柏~北柏

そもそも醤油屋は先祖代々続いている旧家がほとんどで、わが社もその一つなのだが、柏市には平安時代から現在までなんと43代続いていて、そんじょそこらの家系では足元にも及ばない旧家、吉田家がある。天保年間(1830~1843)以来の建物は市に寄贈されて、旧吉田家住宅として公開されている。吉田家は豪農であり、江戸幕府の軍用馬を放牧していた牧の管理者(牧士)であり、そしてこの地に醤油醸造場を持つ経営者でもあった。

残念ながら醤油の醸造は大正時代に縮小され、野田醤油株式会社(キッコーマン社の前身)ができた直後までは野田醤油の分工場として続いていたが、ほどなく終息している。

当時の醸造用具などが残っており、市の歴史企画展で展示されているのを拝見したが、かつて使われていた商標は亀甲印の「亀甲千代」と、所在地である花野井からとった「華之井」。ここで注目したいのは、亀甲の中の「千代」を縦書きにして崩すことで、「花」の字に似せていること。このことで二つの商標が「花」と「華」で結びつき、住所「花野井」を関連付けることを意図した、まことにすぐれたデザインだ。(ただし、そのような説明はどこにもされておらず、私が勝手に解釈しているだけなので、真偽のほどは定かではない。)

吉田家の醤油は東京よりも北関東、たとえば栃木県では宇都宮やさらに北の矢板まで販路を広げていた。その際にはこの商標ではなく、地方の問屋ごとに違う手印(てじるし)という別の商標を使って販売していた。これすなわち、現代におけるプライベートブランドの考え方だ。


ところで、醤油屋を訪ねて走る旅は、前回館林の正田醤油さんまでたどり着いたあと、36区で通過した南柏まで戻って今回は水戸街道に沿って北上する。かつてはここに松並木があったという案内板を見つつ、そんな面影は失われてしまった市街地を進む。旧街道沿いには神社が多いものだが、それにしてもこのあたりには大小取り混ぜて神社がことのほか多い。その中で柏の氏神様である柏神社をはずすわけにはいかない、とお参りする。ちょうどこの日は地元の農産物などを販売する市が催されていて、参拝客ではなく買物客で人だかりができている。境内には蕪(カブ)の船体に葱(ネギ)の帆をかけた船が飾ってあり、なかなかお見事だ。

カブとネギに共通していることは何か。それぞれ全国各地に名産の品種があって、カブは赤カブ派と白カブ派、ネギは青ネギ党と白ネギ党が世論を二分してしのぎを削っていること。それもそうだが、全国に産地があっても、都道府県別の出荷額では千葉県が第1位の野菜だということだ。

カブ、ネギをはじめ、この船に積んである白菜、キャベツ、ブロッコリーなどがつくられている千葉県は、野菜の出荷額が北海道に次いで第2位の農業県なのだ(平成24年度農水省統計)。また、中華の食材として今ではすっかりおなじみの青梗菜(チンゲンサイ)を日本で初めて栽培して広めたのは柏の中華料理店で、この後そのお店の前を通過する。

カブ、ネギをはじめ、この船に積んである白菜、キャベツ、ブロッコリーなどがつくられている千葉県は、野菜の出荷額が北海道に次いで第2位の農業県なのだ(平成24年度農水省統計)。また、中華の食材として今ではすっかりおなじみの青梗菜(チンゲンサイ)を日本で初めて栽培して広めたのは柏の中華料理店で、この後そのお店の前を通過する。


さらに進んで市役所近くの諏訪神社にも立寄るが、ここでは門前にいた猫が逃げるではなく寄って来るわけでもなく、まるで道案内するように先回りして導いてくれた。猫に連れられて入った境内には青面金剛(しょうめんこんごう)の石碑が数十柱ずらりと行列していて、その数に圧倒される。説明はないのだが、おそらく市街が開発されるに伴って居場所がなくなった金剛さんを集めたのだろう。それにしても、これほど大きさの揃った石碑がこれだけの数存在していたことに驚き、そしてそれを放置することなく、大切に引越しさせて安住の地を提供した方に敬意を表したい。


その後は広い敷地の家が並ぶ旧街道から、新道(国道6号)に合流してJR北柏駅へと向かう。

2015年2月

【参考文献】

  • 柏市、第19回柏の歴史企画展
  • 今回の走らんかスポット