走らんか副社長
【醤油の産地へ 東行】

71区 神栖~銚子

神栖から銚子へ向かう道路には、中央分離帯や道路わきにけっこうな数の黄色い花が咲いている。季節外れのコスモス(今は5月)のようでなかなかきれいなのだが、この花はオオキンケイギクといって特定外来生物に指定されている。私は5年ほど前に九州でこの花を見て何だろうと思った記憶があるが、近年全国的に繁殖して問題になっている。そう知って意識していると、あちこちで見かける。きれいだと言われたり、増えすぎると目の敵にされたり、植物にとってはいい迷惑なことだ。


今回はいよいよ関東の東の端、銚子に入る。

銚子市について語る前に、酒器の銚子について書こう(実はそれが銚子市にも関係している)。私は日本酒党で、しかも夏でも燗酒が好みなので銚子は身近な存在だ。では、銚子と徳利(とっくり)はどう違うのだろうか。同じように思えても我々は両者を微妙に使い分けている。居酒屋では「お銚子一本!」と注文するが、「お徳利一本!」とはけっして言わない。その一方で、容量を表現する場合には「二合徳利」と言うが「二合銚子」は聞いたことがない。

そんなことを考えながら小学館日本大百科全書で“ちょうし”を引く。銚子市の名前の由来は、その地形が銚子の口に似ているからだそうだ。どこがどう似ているのか、なんだか釈然としないまま、その隣にある銚子(酒器)の項の写真を見ると、これが銚子だったか、と驚く。

そもそもの銚子は、神事で巫女さんがお神酒を注ぐときに使う、ひしゃくに注ぎ口が付いたようなものだった。次に、正月に屠蘇を注ぐときに使うような、柄がついた急須の形のものに発展した。それが銚子なのだ。その後酒をつぐ容器として圧倒的に徳利が使われるようになり、徳利のことも銚子と呼ぶようになったらしい。

地名としての銚子の由来は、広い川幅の利根川が太平洋に注ぐ直前になって幅が狭まっている様子が、先が細くなっている銚子の注ぎ口に似ている、ということなのだった。

こうして銚子(酒器)の歴史を知ると、その形は一本二本と数えるものではなかったことがわかる。皆さんもこれからは「お銚子一本!」と叫ぶのはやめて、「お徳利一本おねがい」と微笑んだらどうだろうか。日本文化をよく理解している人だ、と尊敬されるに違いない。


銚子は東日本では野田と並ぶ醤油の産地で、ヒゲタ醤油さんとヤマサ醤油さんがその代表だ。

江戸時代に銚子の醤油産業は大きく発展しているが、それは、それまで東京湾に注いでいた利根川が太平洋へと付け替えられ

(利根川東遷)、銚子から江戸まで内陸の川を通って荷物を運ぶことができるようになった影響が大きい。醤油の産地を訪ねる私の旅も、江戸を出発してあちこち寄り道をしながら、醤油が運ばれたルートをほぼ逆行して、ようやく銚子までたどり着いたことになる。

まずはヒゲタ醤油さんを訪ねる。本日は土曜日で工場は休みなのだが、史料館は開いているようなので、受付に行くと快く迎えていただいた。創業が1616年というから400年を超える歴史の、醤油屋としては関東最古の企業。歴史の展示だけでなく、仮想工場見学なるものを体験させていただいた。

もう一方のヤマサ醤油さんも、休日にも関わらず体験館や売店は開かれていた。こちらは醤油発祥の地である紀州から移った方が1645年に創業した会社。当時、紀州の漁師や職人たちが房総へやってきた名残が、勝浦や白浜など和歌山県と千葉県に共通の地名として残っている、と説明を受ける。

両社を訪ねて感心したのは、休日でもお客様対応をされていること、しかも単なる展示や会社紹介があるだけでなく、デジタル技術を使って、あたかも自分がペットボトルの中にいるような、あるいは醤油樽の中に立っているような、見学者を楽しませる工夫がされていることだ。だからこそ、けっこうな数の人が来ている。いやはや最近の工場見学は進んでいるな、また、社員が交替で休日出勤する体制を組むのはたいへんだな、と個人として感心すること、企業として考えること見習うべきことは多々ある。


帰路JR銚子駅に寄ると、漁業と並んで市を代表する産業として、両社の製品と木樽が仲良く展示してある。最近銚子市に関して見聞きするニュースは、人口減少や財政危機など暗いものが多い。基幹産業として踏ん張っていただきたい。


銚子の海辺にて。名も知らぬ遠き島より流れ寄る不審物体ひとつ。

2017年5月

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