走らんか副社長
【中山道 西行】

88区 新町~倉賀野

JR高崎線新町駅の上りホーム脇に、レンガ造りの古い蔵があるのを見つけた。私が子供だった頃のかすかな記憶によれば、昔の駅にはこんな倉庫があったような気がする。危険物貯蔵所と書いてあるが、この中にある危険物とはいったい何なのだろう。蒸気機関車に使っていた石炭だろうか。いやいや、蒸気機関車が一部の観光列車を除いて引退してからはもう40年以上経っているので違うだろう。あるいは、この近くにはかつて陸軍の火薬工場があったそうなので、その名残なのだろうか。しかしそれも70年以上前の話なので古すぎる。

いろいろ調べてみると、列車の車内照明として灯油ランプが使われていた時代に、ランプと灯油を保管していた小屋で、通称ランプ小屋と呼ばれていたものだそうだ。

しかし、かつてこれが何に使われていたものかがわかっても、今、ここに何が入っているのかの説明にはなっていない。きっととんでもなく危険なものが無造作に保管されているに違いない。


秋から冬にかけて、みかんなどの柑橘類や柿が収穫されることなく、実ったまま放置されている風景はよく見かけるが、ぶどうが残されている姿は初めて見たように思う。おそらく、出荷するには房が小さすぎて収穫されなかったのだろう。しかし、売られているぶどうと味は変わらないと思うので、不要なものならばいただきたいものだ。さすがに、ぶどうどろぼうをする勇気はなく、このぶどうが鳥にも食べられずに残っているということは、きっとまずいからに違いない、と自らを納得させて立ち去る。


さらに進むと、精肉業者さんの建物の前で赤い牛がクリスマス仕様でこちらを見ている。赤牛はおいしいと評価されているが、赤牛とは単に赤い牛という意味ではないと思う。これは赤いホルスタインにしか見えないが、あなたは赤牛ですか、それとも赤いだけの牛ですか、と聞いてみたいものだ。もう一つ、あなたは乳牛ですか肉牛ですか、と聞くのはあまりにも直接的すぎるだろうか。いずれにしろ、私は置物です、というのが答えなのだが。


高崎市倉賀野に入る。ここは中山道と例幣使街道との追分で栄えた街だ。例幣使街道とは、江戸時代に京から日光へ派遣された使いが、京都から東海道で江戸を経由して日光街道を北上するのではなく、中山道で信州を通過し、ここ倉賀野から日光へショートカットしたという、まことに合理的な街道のことだ。その道もなかなか風情がありそうで、いずれは走ってみたいものだ。倉賀野は、かつて栄えていた街らしく、さすがに立派な建物が残っている。中でもこちらはきれいにうだつがあがった家だ。うだつとは、軒先にある壁(この家では二階両端の白い壁)のことで、それができないと、うだつがあがらない人と言われることになる。


倉賀野の道端にこんなお地蔵様、双体の道祖神がある。長野県・群馬県でよく見られるものらしいので、これからよく見かけることになるのだろう。幸せそうな二人の姿がいいですね。


帰りに道の駅に寄って群馬の地酒を購入する。自宅にあった空コップと並べるとこうなった。なんだこれは。ゆるキャラグッズを集めるのが趣味なのかと言われそうだが、けっしてそんなことはない。酒飲みは、旅をした先ではその土地の地酒を買って飲むべきであり、私も気軽に飲めるコップ酒を買っていたら、その酒の容器にたまたまイラストが描いてあっただけなのであって、こんなコップを集めているつもりはなく・・・(言い訳が長くなるので後略)。

左から埼玉県深谷市のふっかちゃん、群馬県のぐんまちゃん、千葉県のちーばくんのコップ酒

2018年12月

今回の走らんかスポット