走らんか副社長
【中山道 西行】

89区 倉賀野~高崎

群馬県内の中山道を進む。今は新しい国道が通称中山道と呼ばれているので、旧道の道路標識には旧中山道と表示されている。某アナウンサーが旧中山道を1日中山道(いちにちじゅうやまみち)と読み間違えたとかいないとかいう伝説があるので、間違えないようにしよう。少なくともまだ山道には入っていない。

地名の正しい読みを知るためにも役に立つローマ字表記だが、旧中山道はKyu Nakasendoが基本で、たまにOld Nakasendoというものもあっておもしろい。(そんなことがおもしろいか、と聞かれると答えに窮するが。)


倉賀野宿に高札場(こうさつば:法令などを掲示して民衆に知らしめる場所)跡が残っていて、札を再現したものが二つ立っている。一つはキリスト教禁制に関するもので、キリシタンを通報すれば司教・宣教師などその階級に応じて報奨金を与えるというもの。興味深いのは、キリシタンでも自ら内部告発すればほうびを与えるという、現代の内部通報制度に通じる考え方があることだ。

もう一つの札は人心に関わることなのだが“鰥寡孤独廃疾之者を憫むべき事”の最初の字が読めずに意味がよく分からない。調べた結果この六文字は各々意味があり、一字目は“かん”と読む。鰥(妻を亡くした男性、やもお)寡(夫を亡くした女性、やもめ)孤(身寄りのない子)独(身寄りのない老人)廃(障害のある者)疾(病者)を思いやろう、という意味であった。

それにしても、二つの高札に書かれている文章は私にとってはかなり難解なものだ。当時の一般の人々はこれをちゃんと読んで理解できていたのだろうか。江戸時代の識字率はかなり高かったそうなので、読めたのだろう。そうすると、私の国語力は江戸時代の庶民の平均レベルより劣るということか!なんとも感心するやら情けないやら悔しいやら。


私は最近まで知らなかったのだが、群馬県の南部は全国でも有数の古墳文化が栄えていた土地で、今も古墳が数多く残っている。その一つ、街道から少し外れたところにある浅間山(せんげんやま)古墳を見に行く。前方後円墳がほぼ原形をとどめて残っているのだが、感心したのはその周囲の堀があったであろう場所がそのまま農地の区画として残っているので、堀の跡を含めた全体像がよくわかることだ。宅地にならず農地として使われてきたことで古墳の形がきれいに残っているわけで、これは良いことなのだが、逆に残念なこともある。墳丘の上まで農地として活用されていて、ビニールハウスまで建っている。う~む、喜んだり嘆いたりの古墳観察であった。


街道沿いの民家に、見上げるほどの高さのサボテンが立っている。暑い砂漠が似合いそうな柱状サボテンが、寒さ厳しい群馬県でよくぞここまで成長したものだ。そして、サボテンに絡みつくように茂っているのは葉のまわりがトゲトゲになっているヒイラギ。サボテンとヒイラギがそのトゲとトゲを突き合わせて競っている。まるで、なにかとトゲトゲしい昨今の国際情勢を表現しているかのような光景だ。いやいや、トゲを持った者同士でも仲良くやっていけることを教えているのかもしれない。そう解釈しよう。トゲとトゲでトゲザー(together)!!

2019年1月

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