走らんか副社長
【北国街道 長野行】

99区(連載114回) 小諸~信濃国分寺

長らく街道歩きをご無沙汰していたが、そろりと再開することにした。まだまだ新型コロナウィルスの感染が収まらない状況で、立ち寄った先々で検温や手指消毒、万一集団感染が発生した場合に備えての連絡先と氏名の記入などが行われているが、お願いする側もされる側も慣れたもので、手順が滞ることはない。こんなことに慣れるのが良いこととは思えないが、そんな中での旅歩きです。


長野県内の北国(ほっこく)街道を小諸から千曲川に沿って下って行くのだが、千曲川と言えばちょうど一年前、2019年10月の台風19号による大雨で、堤防が決壊するなど大きな被害が生じたことは記憶に新しい。街道沿いのここでも、崩落した橋の復旧工事が行われている。早く平穏な生活に戻られることを願います。


小諸市から東御(とうみ)市に入る。あまりなじみのない市だが、くるみの生産量が日本一だそうで、そば屋では“くるみそば”というメニューも見かける。くるみをすりつぶしたつけ汁で、くるみ味のごまだれ、と説明すればわかりやすいだろう。地元メーカー製の瓶入りを購入して帰ったが、美味でありました。


しばらく進んだ海野宿には、きれいな街並みが保存されている。海からはずいぶんと遠いのに、なぜ海野か、という疑問はさておき、二階から道に向かってせり出した壁のようなりっぱな“うだつ”がある家(ある程度裕福でないと、うだつがある家は建てられないので、そうでない状況を“うだつが上がらない”と言う)があり、また別の家は一階と二階の格子戸に施された細工がみごとだ。

街並みが保存されているのは、碓氷峠手前の坂本宿もそうだった。どちらの宿にも言えることだが、街道沿いの家には空き家もあるし、飲食店や売店に改装して営業されている家もあるが、現在も住んでおられる家屋が多くある。昔の街並がそのまま残っているのは、私のようなよそ者が観光目的で見るにはありがたいが、実際にその家で生活している人にとっては、自由に改装もできないし、たいへんな苦労と不便があるとお察しする。


奈良時代に聖武天皇の詔(みことのり)よって全国に建てられた国分寺のひとつ、信濃国分寺の跡を通る。以前、栃木県の下野国分寺跡も訪ねて、何もない広い空間に感動したことがあるが、ここも同じように跡地が保存されている。しかし、寺の建物があった場所を横切って、しなの鉄道が走っているのが残念だ。ただ、これとそっくりの光景は別の場所でも見たことがある。私はかつて奈良に住んでいたことがあるのだが、奈良の平城宮跡も広大な敷地のど真中を近鉄奈良線が横断していた。

こうなってしまった状況を想像するに、かつて日本国中で近代化が急速に進んで、鉄道網が整備された。やがてそれが一段落すると、それまで開発一辺倒だった雰囲気が少し変わって、文化や歴史について語る心の余裕ができた。すると、かつてこのあたりには歴史的建造物があったはずなので調べてみようと言う人が出てくる。そして、どこにあったのだろうと調査した結果、正確な場所が特定できたのだが、ありゃ、そこには線路を敷いてしまったじゃないか、しょうがねぇなぁ、となったということだろう。これはこれで、歴史的失敗事例として後世に残したい事案だ。


畑では、収穫時期を過ぎたまま放置された野菜を見かけることがある。花を咲かせた大根だったり、巨大化した野沢菜だったり、あるいは転がった干瓢(かんぴょう)だったりするのだが、この赤くてちいさな実はアスパラガスだろう。私たちが食べるアスパラガスは筆のような形をしているが、放っておくと糸のように細い葉が繁ってふわふわ、わさわさした姿になる。そこまでは知っていたのだが、さらにその後はこんなかわいい実がなることを今回知った。

2020年10月

今回の走らんかスポット